
【連載】「任閑遊」九 松井正樹

私は、一応はオーディオ・マニアである。『一応は』とは、自己認定に過ぎないからだ。この世界の権威ある『Stereo Sound』誌の紹介ページに登場する筋金入りのマニアの方々は、自宅を改造した広い視聴室を構えておられ、海外高級品を所狭しと積み上げておられる。ストックされているレコードも高価なオリジナル盤ばかりだし、ざあっと見積もっても、避暑用の別荘が一軒建つほどの出費を経験なされているように思える。このような方々と比べると、マニアと称するにはスケールが違い過ぎるし、必死で組み立てたレゴ・ブロックを勉強机の上に並べて喜ぶ小学生のような、可愛い存在に見えてしまう。
しかし、道楽の世界における醍醐味や達成感を他人様と比較して評価することは誤りであると思う。道楽とは、行きつく先は自己との対話であろう。その過程においては、時の流れを忘れて没頭できる対象と向かい合い、時間の浪費が『愉しかった』と肯定できるかどうかが問われているように思う。
このように思索しながら、紹介ページの写真で満悦な表情を惜しげもなく露呈される、選ばれたマニアの方々の発言を、私は隅から隅まで読み取っているのだ。『自分だったら、この組み合わせは思いつかないな』などと妄想は無限に広がっていく。なんだか、この方々が同好の友人のような錯覚にも陥っていく。今の私には、この習慣も楽しい。
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オーディオ・マニアたるもの再生装置を保有しなければ始まらないので、私も自分の収入に見合う範囲で、それなりのグレードの製品を買い揃え(中古品も積極的に導入)、段階的にグレードアップもしてきた。基本的姿勢は『何事も抑制的に』だった。オーディオ道楽が原因で家庭崩壊されても困るからだ。家族が離散した寂しい自宅で居間を使い切って高級装置を並べても何の意味もない。この道理を肌身で感得しているオーディオ・マニアは総じてマイホーム主義者である。社会に害することもなく、酒宴の二次会には極力参加しない善良な市民でもある。
このような信条だったので、自分は物欲には淡白な方だと思っていたが、家内に言わせるとそうでもないらしい。
私の友人に、マイカーをゆったりと運転して富士山を遠望できる場所までドライブするのを愉しみにしていて、そのために5年間隔でマイカー(しかもドイツ車)を買い替えている男がいるけれど、彼に比べれば物欲は無いに等しい。ふと、この話を家内に振ってみた。
「マイカーに凝るのはいいんじゃない。家族サービスにもなるから」
「狭い日本であんな大きな物に拘ってどうするんだ。保険や燃費もかかるし」
「駐車場に置けばいいだけよ。あなたは自分好みの物体で家の空間を占拠してるでしょ」
「それは仕方ないだろう。居間で音楽を流せば皆で楽しめるじゃないか」
「その時は家全体がジャズ喫茶になっちゃうの。疲れてしまうのよ」
「リクエストがあれば応えるよ。むしろ言って欲しい。レコード買ってくるから」
「あなたの好きな物体が増えるだけね。物欲に囚われているのが分からないの」
これ以上会話を続けても埒が明かない、むしろ墓穴を掘ってしまいそうだと予感して、私は暫く無言の行に入ることにした。
実は、近い内にスピーカーを交換して、アンプも含めてシステム構成を変更しようと目論んでいたのだが、意外とハードルが高そうなこの気配に、説得戦略を練り直す必要性を痛感することになった。
現有のスピーカーに何の不満があるというのか。手放す理由を書面に記して提出せよと言われたら、本当に困ってしまう。恐る恐るボリュームを上げた時にゾクッとする再生音を味わえることもある、デジタルアンプを内蔵した、時代の先端を走るこの物体は、まだまだ現役で活躍できると思う。でも、引越しして小振りとなった自宅では相性が符合していないと感じるのだ。彼は広い空間でこそ実力を発揮できる。移籍させるのなら、脂の乗り切った今がベストだ。彼には新しいオーナーさんのお宅で羽ばたいて欲しいと願う気持ちが強くなっていく。
悶々とする日々を経て、私の性根は据わってきた。下取り価格が高値に維持される限界は現時点であるという事実認定とスピーカーの交代によって視聴空間が快適に変貌するという将来展望を大上段から示すことだと思い至った。彼女の物欲論に付き合う必要はない。人間誰にも物欲はあるのだ。しかも、今回は買い替えなので、物体を溜め込むわけではないのである。
「なにガチンコで喋っているのよ。要はマンション住み替えと同じだということね」
「そう、そうなんだ。物欲の果ての所業とかではないんだ。必然とも言える」
「はいはい。だったら、新人スピーカーを決めないと意味ないわね。私も試聴するわ」
彼女がオーディオ・ショップに顔出すなんて初めてのことだ。今さら主導権を握ろうとしているのか。まさか素人の自分でもスピーカーくらい選択できるとでも考えているのだろうか。しかし、この流れを止めることは得策ではない。むしろ、私の望む流れが出現したのだ。私は馴染みのショップに連絡して、いくつかのモデルの比較試聴をお願いして、訪問する日時を予約した。
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試聴室には、現在のオーディオ・シーンを俯瞰したような3セットのスピーカーが並べてあった。最新型ではPIEGA(スイス産)、レプリカ箱のJBL(米国産)、中古品でTANNOY(英国産)――マスターの渾身の選択であった。どれも魅力的だったし、今日で決まると確信した。
「松井さん、10年目にして買い替えですね。現行品は人気あるので下取り大丈夫です」
「今回は家内が決めますから、じっくり聴かせてください」
試聴用に持ち込んだレコード盤をかけて、順番に聴いていった。現行品の延長線上にあるPIEGAは美音を奏でる逸品だが、老境にある人間にはクール過ぎるかもしれない。ジャズだけ聴くならJBLが最高だが、箱の寸法が我が家の居間には釣り合わないかも。くすんだ音色だと感じたTANNOYだが、聴く人を魅了する何かを感じた。オリジナル製品のレトロな佇まいが存在感を発している。いろいろ感想が湧いてきて、愉しいひと時だった。
「このTANNOYは50年前のビンテージ品となります。バランスは一番ですよ」
このマスターの一言が押しになったように思う。価格が一番安かったことも影響したに違いないが、彼女は「これがいいんじゃない」と私にダメ押しを求めてきた。
新たなスピーカーが決まってから、それに合うアンプ(本邦新興メーカーの真空管アンプ)もさらりと選択して、今回のミッションは無事終了となった。『あ~!よかった』私の思いが天に通じたことに、ご先祖様には感謝するばかりだった。
「まあ、いい商品に巡り合えたわね。結局、予算内には収まったし、貴方も満足でしょ」
彼女は私の耳元で囁いて、マスターに丁重に挨拶してから、ショップの自動扉に踵(きびす)を返した。扉の向こうはいつしか夕暮れ時で、少し足早に外に向かうその後ろ姿には、湧き出る物欲との葛藤が始まりそうなモヤモヤがにじみ出ていた。
―令和7年7月中旬―
【題字】「任閑遊」筆者自刻 60×60mm
出典は碧厳録です。碧厳録第64則の一節に「長安城裏 任閑遊」とあります。「(禅家の師弟が旅の途中に)長安城を訪問し、特に用事もなく暇だったので、二人して街中をゆっくりと散策して楽しむ」という意味になりますが、解説書によると、長安城裏は悟りの世界を意味しているとありました。悟りの境地を得た人々は、何事もこだわりなく自由自在に振舞い楽しむことを日常とするということでしょうか。個人的には、師弟仲良くという雰囲気が好きなところです。
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(c) Masaki Matsui
【著者プロフィール】
松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。
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