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【連載】「任閑遊」七 松井正樹

任閑遊

其の七

友を見送る

松井正樹

(元国交省下水道部長・松井技術士事務所代表)

悲しみを告げる電話は、呼び鈴が鳴り始めた瞬間に部屋の空気を変えてしまう。家内と二人でテレビのニュース番組を見ながら夕食をとっている最中、私の携帯電話が鳴り始めた。いつもより刺激的な感じがしたので、一呼吸おいて発信者を見ると、北九州市在住の高校水泳部の同期生・S原君からであった。家内は不安そうな表情でこっちを見ている。

「どうした。何かあったのか」
「ああ、悲しい知らせがある。N村が亡くなった。通夜は明日、葬式は明後日だ・・・」
「連休にはお見舞い行く予定だったのに」
「どうする。来れるか? 長野からだからな、無理はするな」
「ああ、急なことなので難しいかもしれない。後で連絡する」

電話は切ったものの、気が動転して何も手が付けなれなかった。涙が溢れだし、頬を伝って落ちてくる。家内が「あなた、N村さんは親友でしょ。行ってくるのよ。早く飛行機を手配しなくちゃ」と背中を叩いてきた。そのお陰で、洟垂れ(はなたれ)泣き面の状態を脱することができ、何とか始動することとなった。

予約しようとJALのホームページを開くと、明日、明後日の福岡便はすべて満席。しかし帰りの松本便は、明後日朝一番の一席のみが空いていた。

たまたま土日なので観光客の移動が影響しているに違いなかったが、逆にこの一席は奇跡に思われた。『N村が呼んでいる』。

同時に『往きは、JRで名古屋に出て新幹線に乗れば、何とか通夜には間にあう』と気が付いて、慌てて予約を済ませた。続けてホテルも予約して、葬儀の参列こそ叶わないが、これで行程は成立した。

喪服は新品の一着がクローゼットに眠っていた。今年の一月、上京して日本橋三越に立ち寄った時、なぜか予定もしていなかったのに紳士服売り場に足を運び、なぜか黒スーツをセレクトして購入していたのである。この翌日、家内から執拗に詰め寄られたので、「90歳越えている君の叔父さんいるだろ。何時必要になるか分らんだろう」と嘯いてしまったが、旧友を見送る場に我が身に纏う大役を務めてもらうことになった。

N村君は高校水泳部の同期生で、6人いた同年生の中で一番真摯に水泳に没頭していた。キャプテンも務めた。一年生の時、皆が競技種目・競泳は初めて(カナヅチも含む)という中で、コーチや有力OB、そして部長等が鳩首密議を開いて決定した練習メニューを見せられて、大いにビビッて固まってしまったことがあったが、彼の一言に救われたように思う。

「何も悩むことないよ。ただ泳ぐだけさ。秋季地区大会での総合優勝が目標だって。このメンバーで団結できれば、乗り切れるさ」

皆はその言葉を受け止め、ただ静かに頷いた。

彼は、クラブ活動以外では、誰にも優しく物静かな青年であったが、破天荒を厭うことはなかったと思う。すぐに免許を取ってバイクを乗り回し、ギター片手にフォークを歌いまくるやんちゃな一面もあった。

ある時本人から聞いたことだが、「夢だけどね、フォーク歌手になりたいんよ」と打ち明けてくれた。福岡市でフォークコンテストが開催された折には、学校の了解を得ずして、一人ギターを背負ってバイクを飛ばして、会場まで歌いに行っている。後日、これが学校側の知ることとなり、校長室に呼び出されて厳しい叱責を受けることとなった。「一度、プロの前で歌ってみたかったんだ。納得はできた。お袋には悪かったな」と彼は語り、好きな道を追い求める強い気持ちを吐露してくれた。私は何も言えず、彼の朴訥とした言葉に聞き入っていたが、『こいつ、凄いなあ~』という畏敬の念が腹の底から込み上げてきた。

そんな彼も、やがて家庭を持ち、中年世代になった頃には、地元北九州を拠点に大手自動車メーカーの営業マンとして安定した暮らしを築いていた。

私も60歳を過ぎて福岡市にJターンした折に、マイカーが必要と感じたので彼に相談したことがある。彼は「これが仕事だから」と言って自宅に来てくれて、懐かしい昔話に花が咲いた時があった。一息ついた時に、彼はレコード棚からアルバム『山崎ハコLIVE』を引っ張り出し、これを聴こうとリクエストしてきた。澄み切ったハコの歌声が充満する中、「いいね~、この歌声には痺れるよ」とご満悦の表情を見せてくれて、そして、ゆっくりと語り始めた。

「実はね、今は抗ガン剤治療しているんだ。肺ガンだよ、ステージ4だ」
「・・・副作用は大丈夫か、仕事はどうしてる」
「しんどいさ、それに皮膚疾患が出てきたりする。仕事は続けているよ、そこは大丈夫」
「お互い、そういう歳頃だからな。俺も2年前、炎症起こして大腸切除したし、・・・」
「俺の場合、親父もそうだったからな。でも、乗り切ってみせるよ。まだ死ねない」
「お前ならしぶとく生き抜くだろう。医者の言うことは守れよ」
「ああ、水泳部時代と一緒だよ。ひたすら治療専念するだけさ。お前はストレスに弱いから再発しないように気を付けな。今度、皆に声掛けして、温泉つかりに行こうよ」

彼は抗ガン剤治療を10年以上続け、闘病に向き合ってきた。日々追うごとに体力が低下していく摂理を実感したことであろう。つい最近まで、毎年のように社会人水泳大会に出場しては、メダル争いの候補者としてマークされていたという。

それにしても早く着き過ぎた。お通夜は19時からだけど、まだ17時である。JR戸畑駅(北九州市市内)で降車して、50年前との街並みの変貌ぶりに驚きながら、足は斎場に向けて動き始めた。

斎場のスタッフが祭壇造りの最終作業をやっている中、なぜか遠慮するという気配りが思い浮かばず、親族控室のドアをノックした。親族の方々は少し驚いた反応を示して振り向いた。奥さんと娘さん家族、可愛いお孫さんたち、彼が護り続けた方々が鎮座していた。

「奥さん、この度は突然のことで、・・・お悔み・・・」
「あら。長野から来ていただけたんですか、有難うございます。松井さんが連休になったら来られると愉しみにしてたんですけど、急に悪化してしまいまして」
「奥さんもお疲れなされたでしょう。病状は聞いてました」
「主人の意向で、昨年から抗ガン剤は止めにしたのです。緩和医療に移行したんですけど、それも自宅ケアで終える道を選んだんです。言い出したら聞きませんから」
「そうでしたか・・・別れの挨拶をさせていただきます」

柩に安置されたN村君の顔は安寧に満ちた表情をしていた。鼻筋が真っすぐに伸びた美男子が蘇ってきたようだった。彼が、治療の副作用に苦しみ疲れて、それで別の道を選んだとは思えなかった。彼の脳裏での葛藤を知る由も無いが、自分の役目を成し終えたといという安堵感を得て、次の航路を家族の方角に舵を切ったのであろう。彼にとって、寿命の長さは問題ではなかったのだ。

18時ごろになると、水泳部の同期がずらずらとやってきた。みんな、待ち切れなかったみたいだった。彼のライバルとして競泳に打ち込んでいたH田君が声を震わせ、「お前先に行っちゃうんか。寂しくなるよ」と漏らした。この声が会場内にこだまして、同期生そろって嗚咽を漏らすことになり、親族の方々もハンカチを手にして目頭を押さえられた。予定調和ではあり得ないこの美しき光景を、N村君は祭壇から見下ろしているだろうと感じた。はにかんだ時に見せる、口角を強く結んだ笑顔をしながら。

和気藹々(筆者習作)

―平成7年4月下旬―


【題字】「任閑遊」筆者自刻 60×60mm

出典は碧厳録です。碧厳録第64則の一節に「長安城裏 任閑遊」とあります。「(禅家の師弟が旅の途中に)長安城を訪問し、特に用事もなく暇だったので、二人して街中をゆっくりと散策して楽しむ」という意味になりますが、解説書によると、長安城裏は悟りの世界を意味しているとありました。悟りの境地を得た人々は、何事もこだわりなく自由自在に振舞い楽しむことを日常とするということでしょうか。個人的には、師弟仲良くという雰囲気が好きなところです。

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(c) Masaki Matsui

【著者プロフィール】

松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。

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【連載目録】

其の壱 バケットリスト事始め 2024.9
其の弐 終わりなき稽古、いつまでやるのか 2024.10
其の参 愉しきは古稀同窓会 2024.11
其の四 未知なる世界への越境 2025.1
其の五 セッション魔王になれるか? 2025.2
其の六 老い行くコレクターの選択 2025.3

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