
【連載】「任閑遊」六 松井正樹

ある日のこと、少し暇だったので、長男がネット上で運営しているホームページを覗いてみた。表紙画面中に『プロフィール』が挙っていたので、その真贋を確認する誘惑に逆らえず、堪らずクリックしてみた。
するといきなり「・・・幼少期から、レコードコレクターである父の影響で、雑多な音楽を耳にして・・・」とあり、その直截的な表現に驚いてしまった。これは衝撃だった。『事実に反するじゃないか。聴いていたのは、ジャズ、クラッシク、現代音楽、フォルクローレ、タンゴ、シャンソン、歌謡曲だけだし』『それに、子供のために選曲していないし』 私の心中は、代官様のお触れ書に無言の抗議をするお百姓の様に、ぐらぐらと煮詰め上って行ったのだ。
自分一人では耐えきれないと悟った私は、家内にパソコンを見せて、同意を求めることにした。彼女は即答してきた。
「その通りよ。あなたは筋金入りのレコードコレクターよ。お義母様にそっくり」
自分はコレクターだったのか。自分の稼ぎの中での甲斐性であったのに。皆も一緒に楽しんでくれているとばかり思っていた。せめて“蒐集家”と言って欲しかった。母親のことはその通りだと思う。サラリーマン家庭の主婦でありながら、箪笥に仕舞いきれない和服、帯、それに多くの茶器・茶掛けが遺されたからであろうが、兼ねて茶道師範をやっていたから仕方ないのである。それは許せるだろう。亭主のことも許せるはずである。
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レコード蒐集が常態化したのは、社会人となって給金を自由に使い切ることができる境遇になってからである。1970年代末期、LPレコード一枚2500円程度していたから、決して安い代物ではなかった。貧乏学生が手を出せるものでは無かったし、そもそも再生機器も所有していなかったので、レコードショップに足を運ぶこともなかった。だから、最初のボーナスを手にして、秋葉原でステレオ機器(スピーカーなしで)を買い揃えた時の満足感は今でも鮮明に覚えている。勤め人になって本当に良かったと思った。その時購入したレコードプレイヤーはラックス製の中級機、当時10万円くらいしたと思う。アームベースが外れて機能不全になるまで使い込んだ。定期的にレコードショップにも顔を出すようにもなり、年に20枚程度のペースで購入していった。夜中にヘッドフォンをかけてレコードに聴き入るひと時は、私の慎ましい独身時代(寮生活)での唯一の愉しみとなった。
しかし、妻帯して家庭を持つと、これまでのようには行かなくなる。世帯用の宿舎に移動して、間取りが広くなったことに天啓を感じ、スピーカーを導入する決意をした。思い切ってJBL社モニタースピーカーの中古品を購入して、6畳の居間に据えてみたら居住空間が半分程度に縮んでしまい、電気ショップの軒先のような雰囲気が醸し出されることとなった。家庭内で異論が噴出したのは言うまでもない。3年後、この大型の名器は他人様の応接間へと旅立つことになり、切ない別れを経験することとなった。それ以来、レコード関連案件については、事前に家内の承諾を得るという不文律が定着し、私はそのルールに支配されながら、コレクションを温存させていく生活を余儀なくされている。
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2年前のこと、70歳を直前に迎えて、信州松本に移動することを決意し、人生最後になるであろう引越しを実行することとなった。新たな居住先は、都心部に立地する中古マンションであり、買い物、交通に便利ではあるが、間取りの広さは1割程度狭くなった。そうなると、私のレコードコレクションの収蔵スペースの確保が大きな課題となることは必定、引越しの2か月前から、家庭会議での論戦を想定しつつ何食わぬ顔で普段を演じていた。
「ところで、あのレコードの塊だけど、どうするつもり」 いきなり核心を突いてきた。
「500枚ほど買取りに回して、残り2000枚は梱包して運ぶよ。ボックスには納まるから」
「ボックスはどの部屋に置くつもり」 ここは切り抜けなければいかん。
「玄関左手の洋室を収納部屋にする。壁に沿って3段に並べればきれいに納まるよ」
「とにかく、ボックスの買足しは絶対ダメですから」 冷汗はかいたが、上首尾であった。
足して2500枚。コレクションが急激に成長していったのには訳がある。1980年代後半からCDが音楽媒体の市場を席巻するようになり、その影響でレコード製作が没落したからである。同時に多くのレーベル会社も撤退していった。デジタル化の進展により、音楽再生の主体がCDに移行していく社会現象のなかで、家庭内にストックされていた膨大なアナログ盤も流出してきて、その受け皿となるレコード中古市場が急成長してきたからである。入手困難だった、あのレコードが格安に入手できる時代に遭遇できたのである。アナログ人間で良かったと実感できる時期を存分に味わえた。
最近は、アナログ人気の復活もあり、希少盤にはプレミアムが付いた値段となってきているし、徐々に富裕層の趣味へと変貌していきそうな雰囲気も出てきたので、少し斜に構えてショップ内を睥睨することにしている。
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比較的余裕のある方が嗜むコレクションの代表選手として“切手収集”なるものがある。長辺数センチの小さな長方形の紙の中に艶やかな色彩でプリントされた政府販売の商品(金券?)を収集しては、保存用の手帖に配置していく。郵送する手紙、封筒に得意げに貼り付けていくわけではなく、美術品として孤独な環境で鑑賞していくのである。
義父がそうであった。生前、御自慢の切手保存手帖を拝見させていただいたが、精妙な印刷技術には瞠目するものの、金額と大きさが比例しない矛盾が気になって仕方なかった。もちろんレコード・切手に優劣があるわけではなく、個々人の価値観に同期する対象物のみが蒐集されていくということであろう。まさに、自己満足の極地にある。そして、その行為は足腰が不自由になるまで終わることはない。
この延長線上をたどっていくと、世代間の継承問題に行きつく。老境にあるコレクターはストックの遺贈、飛散防止に何らかの手を打たねばならない宿命を自覚するようになる。自分しか護れないのだ。若しくは、超新星爆発と同様に、肥大化したストックが市場に放たれて一枚一枚のレコードに戻っていく過程を循環原理として許容する覚悟が問われる。
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昨年のお盆休みの中、長男家族が訪問してくれた時、それとなく彼の気持ちを探ってみた。
「俺が亡くなったら、あのコレクションどうなると思う。君も思い入れは有るよね」
「ジャズは好きだけど、親父の好みに偏り過ぎていて、馴染めるかどうか」
「趣味とはそういうものだ。むしろ、希少性があって価値は高まる」
「でも、プレイヤーは持ってないし。あれって、高額商品でしょ」
「プレイヤーはついてくる。名器と言われる英国産だ。だから面倒見てくれるか」
「俺はいいよ。レコード再生はレトロだし。置ける場所次第かな。女房に聞こうか」
「いや、今はいい。大事にしてくれるんだったらそれでいいんだ」
現時点では、これ以上ないような言質を得ることができた。長男にはコレクションの神髄が理解できていないかもしれないが、それは仕方ない。嫁に拒絶されたら全てがお終いになるから、この程度で十分であると自分を納得させた。
それ以来安心して、しかし目立たないように少しずつ、レコードの買い足しを進めている。ボックスに強く押し込めば、まだまだ収納キャパは膨張していくのである。何気なく街中を散歩していても、不思議なことに中古レコード屋に出くわしてしまう。もう市内に4店舗見つけている。見るだけだからと自分に言い聞かせて、お店のレコード箱を漁っていると、これも不思議なことだが買い逃していた珍盤に遭遇することがよくある。天を仰ぎ、神が差配したご縁に感謝することになる。お店に出るたびに、家内の言葉「あなたは筋金入りのレコードコレクターよ」が真理であったことが思い出される。
「照顧脚下」筆写自刻
有名な禅語。「まずは自分の足元をよく観て振り返れ」という教え。玄関口で提示されている場合は、「履物を揃えて上がってください」という意味にも使われる。出典は「五燈会元」(中国南宋時代に編纂された禅宗歴史書)
―令和7年3月中旬―
【題字】「任閑遊」筆者自刻 60×60mm
出典は碧厳録です。碧厳録第64則の一節に「長安城裏 任閑遊」とあります。「(禅家の師弟が旅の途中に)長安城を訪問し、特に用事もなく暇だったので、二人して街中をゆっくりと散策して楽しむ」という意味になりますが、解説書によると、長安城裏は悟りの世界を意味しているとありました。悟りの境地を得た人々は、何事もこだわりなく自由自在に振舞い楽しむことを日常とするということでしょうか。個人的には、師弟仲良くという雰囲気が好きなところです。
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(c) Masaki Matsui
【著者プロフィール】
松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。
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【連載目録】
其の壱 バケットリスト事始め 2024.9
其の弐 終わりなき稽古、いつまでやるのか 2024.10
其の参 愉しきは古稀同窓会 2024.11
其の四 未知なる世界への越境 2025.1
其の五 セッション魔王になれるか? 2025.2