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【連載】「任閑遊」十七 松井正樹

任閑遊

其の十七

宅内整理は道遠し

松井正樹

(元国交省下水道部長・松井技術士事務所代表)

信州に転居して3年が経過し、こちらでの生活も落ち着いてきたように感じていた昨今、私の思いを裏切るように、一人の同居人(妻)が宅内改造を主張し始めた。マンション住まいなので増床は不可能だし、間仕切りを変更するのも大規模な工事となって現実的ではない。話を聞いてみると、不要と思われる家具、物品を処分して、広々とした雰囲気の中で澄然と暮らしていきたいとのことであった。さらに、寝室を和室に変えて、布団を敷いて寝起きする習慣に戻したいと言う。昼間の利用度が低く、畳三枚分は占拠しているベッドなるものとは決別し、毎朝、畳を箒で掃いては心機一転できる日常を創り上げたいとの意気込みであった。動機はよく分からない。

「反対ではないけど、ぶらりと寝ころべるのがベッドの魅力でもあるけどな」
「貴方はどこでも転がって、眠り込んでるじゃない。最もベッドには合わない人種よ」
「布団上げしてからはどうするんだ。畳のカーペットを敷いておけば和室にはなるけど」
「とりあえず、文机と花台を窓際に置いて、瞑想できる空間にするの。日本人だから」

妻の趣味は華道であるから、この気持ちは理解できる。他人様の批評が届かない空間で、生け花作品を毎日弄るのも楽しいことだろう。どうせ、昼寝するに決まっているが。

「もったいないから、居間にある仏壇も移して、できれば屋内防音室も設置したいな」
「スペース的に無理だわ。サックスだったら、今まで通り公民館の音楽室で練習してきなさいよ。貴方の趣味にこれ以上振り回されるのって、不条理だと思うわ」

私はすぐに口を閉ざしたが、ほんのちょっとした油断から、何かが湧き出してくる歪みが感知された。そして、予期した通り、事態は進行していくことになった。

「そういえば、貴方のガラクタ部屋の片付けはどうなっているの。確か、大晦日の約束だったわね。大見得切って、大晦日の掃除をさぼったでしょ。もう半年経過ですよ」
「もちろん、忘れていないよ。ほぼ構想は出来ている。そろそろやるつもりだ」

これが誘導尋問であったのなら、同居人もかなりの曲者に進化したと断ぜざるを得ない。私は普段通りを装って、妻の目の前で、4年ぶりに馴染の買取りショップに電話を入れた。

確かに雑然とし過ぎている。

私に割り当てられた6畳弱の小部屋は、収納ボックスに入りきれないレコードが散乱していて、足の踏み場もない状況になっている。隣家との境界となる壁面にはレコード収納ボックスが三段に重なって連なっており、左奥には、合気道用道着、黒袴が干してあって、隅には鍛練用の木刀・杖が数本立て掛けてある。そして右手には、サックスケースが2挺横たわっており、ドアの右手に置いた別の収納ケースには書道用具、半紙、篆刻用の青田石が押し込まれていて、その天板には何冊かの譜面集が無造作に置いてある。

私自身も思い切った整理が必要だと肌身で感じている。

妻には悪いが、別に構想とか何もないのだ。解決策は分かり切っている。収納ボックスに入りきれないレコードを処分する一手のみである。じっくりと部屋を目視して、限界容量を1500枚と想定し、リスト帳に載る保有総数から差し引いて約300枚を手放すことを決心した。件の買取りショップからは、その分が梱包できる専用段ボール3個が送られて来ることになっている。これで30㎝×30㎝×100㎝の空間が解放されるのだ。僅かな空間でしかないが、同居人の信頼を獲得するにはやり遂げるしかない。

「ちょっと、300枚を選ぶために全部に目を通しているの? 手伝いましょうか」
「君には無理だろう。まず確定盤と候補盤に分けて抽出している。候補盤は試聴することになるだろう。納得してないと後で買い戻すことになるからな」
「その作業、8月までに終わらせてくださいよ。東京の孫たちがやって来ますからね」
「あ~、頑張るよ。人生最後の仕分けになると思っている」
「とか言って、また買い集めるんじゃないの。レコードショップ探しの名人ですからね」
「置き場所が確保できてからの話だな。それに、もうビンテージ盤しか探さないよ」
「コルトレーンとか30枚もあるじゃない。半分にしたっていいでしょ。どうなの?」
「そこは手を付けられん。思い出も詰まっているんだ。華道人ならわかるだろう」
「華道人だから分かりません。花は刹那の美を拝ませていただくものなの。コレクターのような物欲とは無縁なものなの」

いつの間にか、和室造りの壮大なテーマが霞んできている。妻の関心は、私が処分用レコードを選別し終え、無事に段ボール3箱を宅配に出すことに移行してきている。しかも、夏休み休暇までの2カ月の猶予を提示している。慌てる必要は全くない。都合がいいように解釈して、じっくりとお別れ作業に取り組むことにした。

6月に入って、私の考案した処分用レコード選別システムは大きな欠陥を宿していると気づくことになった。候補盤を試聴することによって、やたら時間が浪費され、作業が進捗しないのである。しかも、候補盤を試聴してみて意外と名演であったと判明した場合、それは収納ボックスに差し戻すことになるが、代わりに候補盤を新たに選考することになるので、スイッチバック路線のように極めて非効率に陥っているのだ。さらに、この作業自体が楽しいイベントになっている一面を自覚してきて、ある種の危機感が持ち上がってきた。とにかく、今は急いで整理するのだ。

「難航しているみたいね。本当に実現できるの? にやにやとジャケットを眺めていたらダメでしょ」
「既に候補盤を250枚選定したので、まず、これらを処分用段ボールに詰めるんだ」
「もう試聴は止めるわけね。あの意味が分からなかったの。大英断ですね」
「予定外だけど、保存用レコードの並べ直しを敢行しようと思う。今しかないのだ」
「単に整頓していただければOKなんですけど、どうなるんですか」
「一旦、全レコードを室外に持ち出し、演奏者別に区分し直して、収納ボックスに戻すんだ。2学期になって席替えするようなもんだな。それで、50枚程度の処分盤は出てくる」
「作業終了まで、居間や廊下の随所にレコードの山ができるってことでしょ。3日が限度です」

何事も躊躇せずに、胸襟開いて難事を打ち明けることが肝要である。そうすれば、解決に向けた一筋の光明が見えてくる。30年前にこの真理に気づくべきであった。実行期間は3日しかないけれど、同居人の許可から得られた安心感に包まれ、心理的な余裕感が回復してきた。今は、この最終イベントを7月中に実行するべく、カレンダーと睨めっこする日々を過ごしている。

そんなある日の午後、保育園帰りのヒーちゃんが我が家に立ち寄ってくれた。ヒーちゃんは、以前からレコードには興味津々なのである。平素は、勝手に触ると祖父から猛注意を受ける経験をしてきているので、『あ、レコードだ』と指差しするだけであったが、乱雑に変質した部屋の状況を察知して、大胆にレコードに触れてきた。

「これ、レコードだね、おんがくがたのしめるんだね」
「あ~、振り回したらあかんよ。ジャケットから丁寧に取り出すんだよ」
「これ、スピーカーだね。きこえてくるね」
「あ~、スピーカーのネットを指で押し込んだらダメだからね。弁償してもらうよ」

ヒーちゃんは腰を上下に揺らして、カウント・ベイシー楽団が奏でるスイング・ビートに乗った反応を示しはじめた。よかった。ヒーちゃんが支持してくれている。私には保存していく義務があるのだ。今夏最大イベントに向けて、雑事を排して敢行していく勇気がぞろぞろと湧き出てきた。

―令和8年6月中旬―



【題字】「任閑遊」筆者自刻


(c) Masaki Matsui

【著者プロフィール】

松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。

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