【連載】「任閑遊」十六 松井正樹
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其の十六
松本城近くに住んでみて
松井正樹
(元国交省下水道部長・松井技術士事務所代表)
3年前、松本市に移転するにあたって、2カ月かけて、やっとのことで探し当てた住居(中古マンション)の所在地は『大手』となっていた。何となく、お城(松本城)の近くだろうとイメージしていたが、現地に到着して驚いた。本当に、目と鼻の先に松本城が悠然と構えていたのだ。マンション玄関口を出てから、北へ50mほど歩いて、最初のバス通りにたどり着いたら、左右に広がる松本城の内堀が視界に入り、その左手奥(北西側)に松本城天守閣の聳え立つ雄姿が目に入った。天守閣の壁面は黒漆喰と白漆喰で塗装されているから派手さはない。それが功を奏して、晴れた日であれば、北アルプスの連山の峰々が松本城のバックとして遠望され、その連なりを邪魔することはない。山岳風景に自然に溶け込んできた往年の雰囲気を今に伝えている。しかも、本丸・二の丸に繁茂する樹林の四季の変化を内に溜め込んで、朝夕の日の出、日の入りの移り変わりも重ね合わせて、何度足を踏み入れても飽きさせることのない不思議なオーラを発し続けているのだ。

築城されてから約400年間、幾度となく押し寄せてきた災害に耐え続け、幕末・維新、太平洋戦争の激動期によくぞ損壊を免れたと感動もする。市井の中で、朽ちていく城郭の修復・保全に情熱をかけた方々が脈々と続いていたことを知ったのは最近のことであった。
江戸時代の松本藩は六家の譜代大名が順次移封されてきて、石高は7~8万石程度だったとのこと。東西には山岳が走り、南北に奈良井川に沿って低地が広がる松本平はそれほど広い盆地でもない。その国力に見合った瀟洒な平城でもあった。城郭の規模は大藩の居城には遠く及ばないけれど、信州の中央で天空を突くも、鄙びた表情で寡黙に座り続ける天守閣はやはり格別な存在であると思う。新米市民ではあるけれど、お国自慢の切り札として、色んな場面で登場していただいているのだ。
*
先月中旬のこと、高校時代の友人・A君から突然、連絡が入った。
「今、家内と二人で東京に来とるんや。今度の土曜に息子の車で松本に行こうと思う」
「こっちは大丈夫だよ。何時頃になるのか? 土曜だから、駐車場は埋まってしまうよ」
「そうか。とにかく朝一番で出るから。出発したら、また連絡するよ」
せっかちなタイプで、何事も自分のペースを押し通していくA君であった。私とは共通点は少なかったが、同じ水泳部の同期として長年付き合ってきている。大学を中退し、いくつか勤め先も替えてきて、何も告げずに一人で旅に出て家族に心配をかけた時もあった。そんな風来坊の彼が40歳代後半になって故郷に戻り、突如、大型工場内の危険設備を運転する専門職人として再スタートした。後年彼から聞かされた話だが、『その親方に両手突いて弟子入りしたわけよ。そりゃもう、猛烈にしごかれた』だそうだ。
やがて一人前として認められ、60歳になった時には運転保守会社を起業し、見事に独立を果たした。『俺自身が苦労して困ったという気持ちは無いな。苦労したのは、カミさんやから』と淡々と話していた彼の日焼けした横顔が思い起こされた。今は相談役に退いて、悠々と気儘に過ごしている。お互い老境に入ってから、交流が深まってきた一人である。
「13時頃、お前のマンションの前に着けるから、よろしく頼みます」
「外で待ってるから。空いている駐車場も探しておくよ」
「松本の見所はどこなんや。案内してくれると助かるわ」
「わかってるよ。まず、松本城。時間があれば、旧開智学校(国宝)、四柱神社かな」
「膝を悪くしてて歩き回るのも難儀だから、ゆっくりと松本城を見てまわろうか。城は大好きなんや」
「わかった。すぐ近くだから、心配ない。とにかく、安全運転で来てくれ」
ほぼ予定時刻に、大型の黒ワゴンがマンション前に到着した。私は小走りになって手招きしつつ、少し奥に入ったところのコインパーキングに誘導した。そして、ニコニコ顔したA君と久し振りに再会した。白髪が多くなったのはお互い様だが、以前より痩身になっている印象を受けた。膝を庇うようにゆっくりと歩いている。彼の背後に、奥様と息子さんが控えていて、軽く会釈を交わした。価値ある瞬間だなと感じた。
「N君の葬式以来だな。今日は無理言って済まんな。一度、松本に来てみたかったんだよ」
「高校の修学旅行で来てるよ。集合写真も撮っている。あの時代よりずっと綺麗になってると思うけど」
「そうだったんか? 全然記憶ないけど。むしろ新鮮でいいかもな。いい天気だし、お城巡りには最高だな」
天守閣内の階段登りは省略し、人通りの多い見学コースからも逸れて、東側の太鼓門から入場し、先に二の丸に寄ってから本丸に入った。

ここからは天守閣をストレートに眺望できる。やはり、天守閣入場口は待機組(特に海外からの観光客が多い)で列をなしていた。茶店で少し休憩してから、天守閣を囲む内堀に沿って散策し、頂上を見上げる感じが大迫力となっている最大の人気スポットで記念写真を撮ってから、城外に出て天守閣を遠巻きに眺めながら太鼓門へと戻った。私のお気に入りのお散歩コースでもある。
「よかったね。熊本城が最高やと思っていたけど、ここも負けてないね。味がある」
「細川家は50万石以上の大身やで。故郷の小倉城でも15万石の殿様やった。小笠原家は松本藩から加増転封されて来たから、松本から小倉へ多くの郎党が引っ越したことになる」
「そうか。俺らの先祖はこの地の縁者じゃったいうことやな。狭い日本、大いに結構!」
行きつけの喫茶店の片隅ながら、元気闊達なA君との会話も盛り上がり、奥様、息子さんも加わって、楽しいひと時を過ごすことになった。帰り際に、彼からお土産を頂戴した。プロ級の腕前を持つ切り絵の作品であった。「お前には、こっちの方がいいやろと思ったけん」と言いながら、少し恥ずかしそうな表情で渡してくれた。故郷の夏祭り、提灯山笠を大曲りで引き廻すシーンが切り取られていた。「あの時代が詰まっているね。大事に飾っておくよ」と応じた。今は、狭い我が家の限られた壁面の取り合いにならないよう、関係者と相談しているところである。
*
ここ一週間ほど、保育園の迎え役を任されているので、帰り路の途中で松本城公園内に立ち寄っている。2歳5カ月になる孫息子は松本城が大好きなのである。内堀を覗き込んでは泳ぎ回っている鯉の群れを探し、公園内で鳩を見かけると追いかけまわし、二の丸の屋敷跡では石ころを拾っては投げ捨てている。本人は楽しいことばかりかもしれないが、危険がいっぱいなのである。繋いでいる手を振りほどき、急に走り始めることも頻繁にあるので、こちらも心の準備をしておかなければならない。ちょっとした不注意で傷を作って、病院に駆け込んだことも何度かあり、その都度、両親、親族縁者から厳しい叱責の視線を浴びるのは私自身なのだ。家内からの指摘は特に厳しい。
「幼児相手に何やってるのよ。死ぬ気で彼の袖を握りしめてなさいよ」
「大きな芝生で走り回りたいんだよ。いいじゃないか」
「だったら、あなたが先回りして、危ない段差の前で待ち構えてなさいよ」
「そうしてるけど、見掛けによらず速いんだよ。陸上選手に向いているかもな」
「それから、わけのわからない小石や小枝を拾わせるのは止めてくれないかしら」
「なぜ収集しているのか、俺にもわからん。溜まったら、戻しに行ってるじゃないか」
この夕方の運動の効果で、ヒーちゃんがすんなりと眠りにつけているかどうかは依然として不明である。まだまだ、肉体疲労が足らないからだと結論づけられたら、夜間散歩の選択肢が浮上する可能性もある。夜中に懐中電灯を持って、ヒーちゃんと二人で商店街を往来している姿を想像してみて、ぞっとした。恐ろしい光景だな。まるで、人攫いの怪人にでも変身してしまったみたいだ。そういう事態に至らないよう、最近は、手を繋いだ時は、『五木の子守唄』を歌うように心掛けている。

―令和8年5月下旬―
【題字】「任閑遊」筆者自刻
(c) Masaki Matsui
【著者プロフィール】
松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。