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【連載】「任閑遊」十三 松井正樹

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任閑遊

其の十三

お正月を儘に迎える

松井正樹

(元国交省下水道部長・松井技術士事務所代表)

長期の正月休みが待ち遠しくて仕方ない、と感じていたのは何歳頃までであっただろうか。30歳代までは、年次休暇も組み合わせて長期の帰省プランを作り、小学校低学年の二人の息子の手を引いて九州まで家族で移動していた。決して苦痛と感じることはなく、むしろワクワク感が増幅していく高揚感があった。田舎での餅つき、初詣、親族揃いの宴会も楽しく、帰省から戻っても後悔することはなかった。しかし、今は全く違う。仮に両親が生存していたとしても、疲れ果てることが確実で、息子一家が同行する可能性も低い帰省というプロジェクトが実行されることは有り得ないと思うし、夫婦二人で多くの旅行者に混じって観光地を往復する意気込みも湧いてくる実感は無いのだ。極端な見方かもしれないが、この一週間程度の世界的ホリデー自体が面倒くさいと思ってしまう自分が確実にいる。そして、この傾向が年々大きくなっている。今回、私が正月休暇の始まる直前にとった行動は、テレビ番組雑誌の購入と診療可能な当番医院の確認だけであった。

これも、老化現象であると言われてしまうのだが、であればこそ、抵抗することはやめて、普段の生活スタイルで儘に正月を迎えてみようと考えた。

年末は29日からの3日間をやり過ごせば足りる。“普段通りに”が鉄則だから、特に大掃除もやらなければ、自分の小さな部屋の片づけにも手を出さないこととした。しかし、逆に家内からのクレームが誘発され、平素の生活自体の欠陥が浮かび上がってきたのだ。

「食事だけは欠かさないゴミ人間になってますけど、どういうつもり?」
「今回は普段通りに徹して・・・まあ、人生における実験みたいなものかな」
「人生自体が実験なのよ。ベランダ掃除も人生なの。レコードの山も整理してよ」
「あとで普段通りのベランダ掃除はします。あの山は構想練らないと手を付けられん」
「単に買い込んでは積み上げてるだけでしょ。業者さん呼んで処分しますか」

確かに、私の小さな部屋には新たに買入れたレコードと20歳代に購入した古い愛聴盤が渾然と散乱しており、ジャンル別に整理して格納する必要性に迫られていた。痛いところを突かれてきた。しかし、本格的な棚卸をするとなると、2000枚のストックを一度居間、廊下に仮置きし、ジャンルごとにピックアップして並べ直すという膨大な作業が必要になる。一日で終えようとするとバイトを雇わなければならないくらいだ。家内にバイト代を出すことになってしまう。

「来年の優先行事とするから、しばし時間をくれないか。必ず実行するから」

懇願する表情を見せながら、この場を穏便にやり過ごすことにした。まあ、これも普段によくある光景である。最大ほぼ一年間の猶予が確保できた格好にもなり、それはそれで収穫であった。

大晦日の夕食は、普段通りであるからカレーライスということになっていた。その覚悟でいたのだけれど、夕方になってクール宅急便が届けられたことから状況が変わってきた。荷物は九州の親族からのもので、中身は搗き立ての餅である。ここは農家であって、恒例として、大晦日前日は親族が揃って本家に集まり、朝方から夕方にかけて、杵と臼で餅を搗き上げるのである。福岡在住時代は我が家も朝から参加して、汗を流し、酒を痛飲し、バーベキューを喰らって親族間の飾らぬ交流を味わってきた。松本移転後は参加できていないので、2年間ほどあの独特な歯応えのある田舎餅との縁は途絶えていたが、予期せぬ心遣いをいただき、『九州人』の貪欲な食欲が目を覚ましてきた。

「折角だから、カレーはやめて餅入り蕎麦にしましょうね。年越しですから」
「いいね。じゃあ、今からコンビニに行って、ビールでも買ってくるか」

アルコールは用意していなかったが、路線変更である。ビールのおつまみもたんまり買い込んで、少しルンルン気分となる。一年の最後の夕食を蕎麦でお手軽に済ますという習慣はよくできていると思った。何となく『何事も切りをつけて、とりあえずここで納めてしまう大晦日』は格別な精気が宿るように感じてしまう。

その調子でNHK紅白歌合戦にチャンネルを合わせたけど、知らない曲ばかりが続いて、全く付いていけず愕然とした。面白さが理解できなくなっている。いや、本当に面白くないのかもしれない。テレビにぶつぶつと文句を言っても仕方ないので、早々に布団に潜り込むことにした。

まだ夜分9時半なのだ。さすがに早すぎると思い寝そべって読書していたら、スマホのLINE受信ベルがけたたましく鳴り始めた。何事かと思ってLINEを開いて見ると、高校水泳部同期生のグループLINEであった。

『岩崎宏美が出ている。デビューして50年になるけど、奇麗やな。歌もうまい』
『永ちゃんは貫禄あり過ぎ。ロックじゃなくて歌謡曲になってるけど、いかしてる』
『南沙織を出してほしい。昔からのアイドルやった。今の姿、見たいわ』

う~ん、彼らは面白く楽しめているのか。少しばかりの衝撃と不思議な孤独感を味わうこととなった。20分程度盛り上がって自然と消滅していったこのグループLINEを観ていて、50年以上前の自分自身が思い起こされた。楽しかったこと、恥ずかしかったこと、ヘマしたことを反芻してみたが、『自分自身、結局、何も変わっておらんな』と改めて納得した。やはり、大晦日は格別であった。

元旦は、誰からも邪魔されることなく自然と目覚めてはいたが、もう10時ををまわっている。

「いつまで寝ているつもり! 普段以下じゃないの。もうやってくるわよ」
「え~、息子たちか? 暇なんだな~ ヒーちゃんも来るのか?」
「当たり前でしょ。まだ2歳児ですよ。あの子の保育担当は貴方ですからね」
「わかってるよ。散歩でも積み木遊びでも何でも付き合うよ。楽しいし」

意を決して起き上がり、田舎餅が浮かんでいる雑煮を温めなおして、腹ごしらえをした。
空腹が解消されると、『普段通りだけど、ちょっぴり正月らしいな。いい展開だ』と意味不明な充実感が満ちてきた。昨夜のモヤモヤは引きずっていなくてよかった。

ヒーちゃんはマイペースだ。正月特番の歌謡・演芸には全く興味を示さず、オモチャのJR特急を握りしめグチャグチャ言っている。居間に続く和室を独り占めにして、祖父が積み木で作ったトンネルを使って、バスや列車を通り抜けさせてご機嫌である。踏切りの役はいつも私が務める。『カンカン・・・』を言い過ぎて喉が擦れてきた。しばらくして、中腰になる姿勢が続いたせいなのか、少し腰痛が出てきたので、二人で近くの神社まで散歩に行くことにした。





ヒーちゃんの目当ては、境内にたむろする鳩の集団を追い掛け回すことだ。そして、私はヒーちゃんを追いかける。転んで怪我でもしようものなら、縁者一同から叱責されることは目に見えている。でも、手は繋がない。走りすぎて何度も転ぶけれど、両手を伸ばしてガードする術は習得できたようだ。今年も無事に成長していけるよう、本殿に並ぶ参拝者の行列とは離れた位置で祭神様に二人で手を合わせた時、ヒーちゃんの方向から、微かだが、あの『あずさ2号』のフレーズが鼻歌となって聞こえてきた。昨夏のイベントで夫婦二人で熱唱して観客をドン引きさせた、あの因縁のご当地ソングではないか。封印していた記憶が渦巻いて蘇る。なぜ、この曲なんだ? と正面を仰いだ。

―令和8年1月下旬―



【題字】「任閑遊」筆者自刻


(c) Masaki Matsui

【著者プロフィール】

松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。

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