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【連載】「任閑遊」十二 松井正樹

任閑遊

其の十二

ジャズ喫茶での遭遇

松井正樹

(元国交省下水道部長・松井技術士事務所代表)

私はジャズ喫茶で寛ぐのが大好きだ。同じ音楽鑑賞系でもクラシック喫茶は少し苦手である。京都市の出町柳に有名なクラシック喫茶があって、京都赴任時代には頻繁に出入りする時期もあったが、自然と足が遠のくこととなった。ジャズの方が好きだからというのが根本であるけれど、1曲が長すぎることも大きな要因だったと思う。途中から聴き始めたり途中で退出してしまうと、逆に欲求不満が溜まることになってしまうのだ。その点、ジャズ喫茶なら90分程度腰掛けて、LP片面なら4枚は完聴することができる。

3年前に松本市に転居してきた時、新居から徒歩3分の距離に、通仲間では知れ渡っている「E」というジャズ喫茶が存在しているという事実を知って、心底驚いてしまった。これは神様からのプレゼントに違いないと確信もした。荷物整理も落ち着いた頃、満を持して訪問してみた。残念ながらこの日は定休日であった。階段の白壁に大胆にサインされた来店ミュージシャンの筆跡をしばらく眺めて、『う~ん、出直すしかない』と観念した。こんなに近いのに、なかなか行けないということに、不思議な思いを抱きながら、それから1か月経過して、営業開始の一時間後、料理屋の脇の小さな急階段をゆっくり登りきってから、スピーカーの爆音が漏れ響いている重いドアを押し開けて、晴れて顧客の一人となることができた。『やった!』と思った。ここは、自宅とは別次元の非日常の格別な空間となった。

急に寒風が吹き荒れるようになった11月下旬、土曜午後のけだるさを感じてきた夕刻時、いつものように重いドアを押し開けた。ちょっといつもと違う違和感を覚えたが、気にせずにカウンター奥の指定席に腰を下ろした。黒ビールを注文して、スピーカー近傍のソファ席に目をやると、二人の先客が向かい合うような形で座っていた。入店時の違和感は人の気配だったのかと合点していたら、その中の一人が手を大きく振ってきた。『え、カウンターには自分だけだけど、何か? マスターと間違えているのか?』 さらに、その客人が荷物を引っ提げてこちらに歩み寄ってきた。これには、さすがに驚いた。身構えつつ、相手の顔を凝視した。二人の高齢者がしばし見合っている。本物のマスターも、喧嘩でも始まるのかと警戒したに違いない。

「松井さんでしょ。あの頃の面影残ってますね。入店された瞬間に分かりましたよ」
「え~と、ひょっとしてMさんですか。30年以上ですよ。こんなことってあるんですか」

35年程前のこと、京都市に在住していた当時、職場で昵懇にさせていただいた先輩だった。離任後は、年賀状での交流は続いていたが、お会いする機会の無いままであった。

「僕は松本観光のリピーターなんです。ここで待てば、いつか会えると思ってました」
「感激です。お元気そうで何よりです。今はどうされてますか・・・」
「お陰様で元気ですよ。仕事の負荷は減らして、自分の好きなことに集中しています」

Mさんは定年退職されてから、地元の調査設計会社に技術士として勤務する傍ら、趣味の旅行を楽しむほか、版画制作に没頭されたり、空手道場に入門されたりと悠々自適に暮らされているとのこと。私の目標とする”儘“の老境生活をすでに実践されている様子であった。白髪交じりの無精ひげを無頓着に残して、満面の笑みを浮かべて話しかけるMさんの表情には、現役時代に時折見せられた厳しさはなく、このまま好々爺に進化していきそうな余裕が醸し出されていた。

『あ、しまった。ここはお喋りご法度だった』、昭和時代のジャズ喫茶のルールが残存しているこのお店のしきたりが思い起こされた。恐る恐るマスターの顔色を窺うと、ご本人はグラスを磨きながら笑みを浮かべている。お客が3人しかいない時間帯であったのが幸いした。声は落としたが、話は尽きることなく、版画×書道(篆刻)や空手×合気道など趣味の世界まで発展してしまい、35年間のギャップはあっと言う間に埋め尽くされた。

1時間程であっただろうか、ふと会話が途切れた間隙を拾うように、Mさんは急に身支度をされて、今度は京都で落ち合おうと約束して店を後にされた。この別れのタイミングも気持ちよいものであった。本当に、再会できて良かった。最高のBGMに晒され、ジャズの先達に祝福された奇跡のようなひと時となった。

数日後、Mさんからレターパックが届いた。開けてみると、来年用の卓上カレンダーであった。会社が営業用に制作されたものであるが、月毎のページの左半分に水彩画や版画が印刷されていて、版画作家としてMさんがクレジットされていた。清水寺や祇園祭などの著名な京都風物を題材にした作品集であり、精緻さ繊細さにおいてアマチュアの域を超えた見事な出来栄えであった。京都を愛する気持ちがストレートに伝わってきて、自分の書道(篆刻)のレベルとは段違いであることが判別できた。そうとも知らずに、あの日生意気にも素人の芸術談義に熱が入ったことを恥ずかしく思った。まさに「三日会わざれば、刮目して見よ」(三国志呂蒙伝)と教えられることとなった。『近いうちに、何とか京都に行こう』と密かに誓った。

最近のことだが、家内が自分のデスク上に例の卓上カレンダーを置いて私的に利用している様が確認された。しかも、すでに予定書き込みも実践している。

「大事な先輩からもらったカレンダーだよ。書き込みまでやってどうするつもりだ」
「そうだったの。使いやすそうなので利用してるけど。返せということ?」
「そ、それはいい。ただ、大事に使って欲しい。この版画は先輩の作品なんだ」
「え、プロの作家さんの作品だと思ったわ。趣味もこのレベルまでいくと凄いわね」
「その通りだよ。まあ、俺の篆刻がカレンダーに載ることは無いけどな」
「いじけてどうするのよ。先輩を見習って、作品集でも出しなさいよ」
「個人出版なら経費もかかるし、まず誰も喜ばないだろう」
「そこが、いじけているのよ。他人の反応を忖度してどうすんのよ。長生きするつもり?」
「寿命は関係ないだろう。作品残す意味があるかどうか、思案が必要だということ」
「常識ぶってさ、時間との闘いなのよ。市井の芸術家のプライドがあるなら、何か残すべし」
「か、考えているさ。残し方が問題なんだ」
「期待してるわ。ただ、棺桶に入れる副葬品まがいのものは真っ平御免ですから」

あの奇跡的な遭遇の影響で浮遊気味であった私のハートは、強制的に現実世界に引き戻されたかのように固まった。M先輩との旧交を温めることとは別に、私の趣味世界の基本路線に大きな変革がもたらされそうな何かが蠢き始めた。愉しみを追及しているだけの一人の高齢者に過ぎないのに、なぜ成果を要求されるのであろうか。『残す』ことに本当に意味はあるのか。換金性ゼロの代物を誰に継承せよというのか。むしろ、非難の対象になるのではなかろうか。あいつは何を目論んでいるのか。まだまだ、得心できていない自分自身がここにいる。

―令和7年12月下旬―

【題字】「任閑遊」筆者自刻


(c) Masaki Matsui

【著者プロフィール】

松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。

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