
【連載】「仁閑遊」十 松井正樹
- NEW

8月に入ると、松本市は音楽都市『楽都』に変身する。
お盆休みに入る頃から「セイジ・オザワ松本フェスティバル」が1か月近く展開され、有名なサイトウ・キネン・オーケストラの公演(今年の目玉は歌劇ブリテン作『夏の世の夢』)をメインに市内各地で室内楽や吹奏団パレードなどが催される。観光地ゆえ、普段でも海外からの旅行者を多く見かける土地柄だが、このシーズンに入ると楽器ケースを背負った来日ミュージシャンが目立つようになる。松本市民も聴いて回るばかりではなく、アマチュア愛好家たちが市民会館サブホールやライブハウスに陣取って、コーラスや合奏を披露する機会を創り出しているようだ。というのも、ランチやカフェで立ち寄るお店のドアを開けると、ライブ・発表会のフライヤーを目にすることが多くなってくるのだ。地元の皆さんのエネルギーがひしひしと伝わってくる。
このような経験を2カ年味わって、私の体内のマグマがうねり始めたのかもしれない。
良識ある家庭内パートナーが戸惑い顔をして、熟考を求めるサインを繰り出してくるのを振り切って、今年のお盆休みの最中に、(とても他人様を巻き込むわけにはいかないので)まだ足腰が自由な親族達(姻族を含む)を招集して、それぞれ好きな音曲を披露しながら愉しき時間を共有するイベントを実施することにした。言わば松本移転記念企画ともなる、『親族大集合!我がまま気まま音楽フェスティバルin松本』の挙行である。
*
親族だけだからと言って、無計画に敢行したわけではなく、親族だからこそ疎かにできない暗黙のルールを冷静に確認しつつ、周到に準備を進めた。
構想に着手したのは6か月ほど前、真冬の寒さに痺れる2月中旬頃であった。
自宅から徒歩5分程度の近場に馴染みのライブハウスがあって、この日は全国的に活躍するジャズ・バンドの地方ツアー公演が開催されていた。私もこの公演の一席を占めて、素晴らしい演奏を堪能し、アンコール終了後はレコードジャケットに大きくサインを揮毫していただいたりした。そして、ふと思い至った。『プロの方はチャンスと見れば何処でも演奏されるのであろうが、この木工造りの落ち着いた空間をもっと利用しないともったいないな。アマチュアにとっても貴重な場となるに違いない』などと勝手に決めつけて、そこから連想を重ね、ファミリーコンサートのイメージが膨らんできた。
年初に届いた親族からの年賀状の多くは『・・・今年こそは松本にお邪魔したいです』と余白に直筆されていたから、チャンスがあればやってくるに違いない。そのチャンスを提示するのが、私の使命なのだ。――少し陶酔してしまった感じではあったが、天上からの啓示のような思いが自分の胸中に膨らんできた。
「マスター、ここレンタル営業もされていますか」
「レンタルやってます。OKよ。時々だけど、サークルの発表会あるよ」
このライブハウスのマスターはカナダ出身の方で、英語訛りが残っている。
「30人程度で素人音楽祭やりたいんだけど、お盆シーズンで予約できますかね」
「いいね、とても楽しそう。今ならどの日も大丈夫。サイトウ・キネンとぶつかるね」
人懐っこいマスターの嬉しさ溢れる笑顔が大きなバイアスとなったかもしれないが、とにかく会場押さえが先決だと思い、この日の勢いのまま、お盆の某日午後をレンタル予約してしまった。でも、後悔は無かった。
*
このイベントを実行するためには家族(家内、息子夫婦)の協力が不可欠である。なのに、この企画を打ち明けることが躊躇われた。批判の嵐に襲われることは必定で、その準備が必要だった。悶々とするのを悟られないように気を付け、1か月ほど経過した頃、息子夫婦が遊びに来て食卓を囲んで賑わっていた夕食時、会話が途切れたタイミングで告知した。
「今度のお盆は、皆を呼んでセッションでもして盛り上がろうよ。良い想い出になるよ」
「皆って誰のこと。わざわざ楽器持参で、素人セッションに参加するために来るかしら」
「親族限定で参加は自由としよう。生バンドの伴奏ありで、贅沢なライブ感を出そう」
「なんか、企らんでるでしょ。よく準備しないと大変なことになるわよ。絶縁されるわよ」
「君の兄さんには了解とるよ。ギター・マニアだから、喜んでやってくるさ」
「とにかく、企画書を事前に送付して、参加の可否を確認しなきゃだめよ。大丈夫?」
「それは準備してある。場所も確保している。みんなの協力がいるんだ。頼む」
夫婦のやり取りが一服した瞬間、息子が恐る恐る切り出してきた。
「生バンドを用意するなら、プロを雇う必要があるし、会場レンタル料もかかるよ」
「そこが問題なんだ。少しばかりの参加費は払ってもらう。サポートプロの斡旋は君に任せるよ、君の仲間でもちゃんとギャラは払うから。・・・収支計算はこれからだ」
それ以来、私は久し振りに多忙な日々を送ることになった。付き合いの濃厚な親族10家族(約30名)宛に企画書を郵送し、後日返送されてきた参加通知書(歌唱・演奏する曲目提示など)をまとめて、不詳なところは電話・メールにて確認、フェスティバル所要3時間のタイムテーブルの作成、リハーサルタイムの運営案、ライブハウス側との飲食メニューの協議、打ち上げ会場の確保、自分自身がサックス演奏する曲目の練習などなど。
数か月が流れ落ちるように過ぎ去った。結局、23名の親族(過半が東京方面から、九州大分からも1名参加)と2名のプロミュージシャンが暑さ厳しい真夏の松本市に集合することとなった。
*
フェスティバル本番まで2週間を切った7月下旬、家内が意外な企画を持ち込んできた。
「オープニング・サプライズなんてどうよ。『あずさ2号』歌いながら登壇しましょ」
「兄弟デュオ“狩人”のもう50年前のヒット曲だよ。若い連中は知らないよ」
「信州のご当地ソングみたいなものだから、歓迎の気持ちで歌いたいのよ」
「え~!意外な発言だな。勿論つき合うよ。ハモリもあるし、練習しなきゃいかんよ」
「譜面はネット販売で調達しているの。移調しないと歌えないけど、何とかなるわよね」
こうして、ピアノ伴奏の譜面を作らされ、猛特訓を課せられることになった。半年前は渋面作っていたくせにどういう風のふき回しなんじゃとブツブツ言いながら、YouTubeで探したお手本動画を参考に練習を重ねた。う~ん、難しい。言葉が多くて、歌詞を音符に落としこむことに苦労し、改めて演歌、和製ポップスの奥深さに気づかされた。
本番当日、予定通り参加者が集い、親族仲間が一堂に会した。我々、子、孫の三代にわたり、初対面の姻族関係の方々もおられたが、あっと言う間に寛ぎある雰囲気に変貌していった。
当日のプログラムのトップバッターは、サックス演奏の私である。真夏らしく『サマータイム』をジャズ風に吹かせてもらったけれど、緊張もあって出来は今一つだった。でもそんな気持ちを吹き飛ばすように割れんばかりの拍手をいただいた。本当に嬉しかった。演目は何でもOKにしていたので、クラシック、ジャズ、ラテン、歌謡曲、童謡など多岐にわたり、技量はともかくギター、ピアノ、クラリネット、ドラム等の演奏、家族合唱、独唱等の披露が続いた。
最後は全員で『マリー・ゴールド』を大合唱して、三代揃い踏み音楽フェスティバルは閉幕した。
言い出しっぺの私にとっては、あの時の思いつきが実現した奇跡のような場面が繰り広げられ、駆け抜けるように消え去っていった感じだった。そして、大きな荷物を一つ肩から下ろした満足感に包まれた。皆さん、にこやかに記念撮影に並んでいただき、やれやれ。
ところで、例のオープニング・サプライズであるが、あまりにもサプライズ効果が効きすぎたのか、全員が唖然としてステージを凝視していた。必死に笑い堪えている嫁たちと目を皿のようにして固まった連中が混在するその光景に、避けようのない世代間格差と親戚付き合いの難しさを感じずにはいられなかった。後日、1歳児の孫が♫はちじちょうどの~あずさにごうで~♫と口ずさんでいるらしいとの報告を受けて二人で驚愕した。それ以来、我が家では『あずさ』は禁句となっている。
―令和7年9月中旬―
【挿図】「白秋句」筆者自刻
【題字】「任閑遊」筆者自刻
[△先頭に戻る]
(c) Masaki Matsui
【著者プロフィール】
松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。
[△先頭に戻る]