今年5月に70歳の誕生日を迎えたところ、初夏の候、予定通り高校同窓生有志による「古稀同窓会」の開催案内が届いた。“予定通り”と敢えて付言したのは、昨年に出席意向を確認するための往復葉書が到来していて、「YES」の欄にマークして返信していたことを思い出したからである。あれはジョークではなかった。
案内状を何度か読み返して、着実に実行に移された事務局の皆さんのご尽力に大いなる感謝の気持ちが込み上げてくるのを自覚できた。
卒業して50年以上も経過しているし、その後の経歴、住所等がデータとして記録・保管されてきているわけでもない。事務局メンバーは「還暦同窓会」幹事メンバーと重複しているから、10年前のデータが使えるけれど、宛先不明で戻ってくる葉書の相手の所在を探し出していく苦労は大変なことだと思う。クラブの仲間、地元の親戚筋などに連絡して口コミ情報でたどり着いていくらしい。当然、物故者もおられるし、最終的に所在不明と判定せねばならないこともあろう。普通の仕事の延長戦でできるものではないし、前提として「みんな、再会しようぜ」という熱き情熱がなければ実現できないだろう。私は何ひとつお役に立てることはなかったが、九州の一角にこの熱き集団が(還暦同窓会開催以来)活動していたという事実を想うと、我がことのように鼓動が高まるのを感じた。
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いよいよ古稀同窓会当日、某ホテルを会場にして18時から開催される。受付は30分前からなので、余裕を持って17時には近くの喫茶店で待機していた。何故かはわからないが、少し高ぶっているかもしれない。と思った瞬間、携帯電話が鳴った。
「松井か、何処にいる。長野から来たんだろう」――相手は水泳部同期の友人だった。
クラブ仲間同士は裏表のない(まさに裸同然の)濃密な青春謳歌を共有してきたので、今もって遠慮というものがない。一人静かに時の過ぎゆく感覚を味わおうと思っていたが、台無しとなった。
「もちろんだよ。今、コーヒー飲んで待っているところだ」
「もう沢山来てるよ。受付はもう開始している。早く来いよ」
「そうか。すぐ行くよ」
みんなの逸る気持ちは何なんだと思いつつ、すぐに店を出て、足早にホテルに向かった。
会場受付役に並んでいるのはずらり女性陣。しかし、皆さん70歳の小母様ばかりで52年前の記憶映像は全く使い物にならない。名前が出てこない。それは相手にしても同様で、私の変貌を遂げた面相を眺めては首を傾げている。やはり名前が出てこないようだ。
「一年生の時、何組でしたか。分からないですか。担任先生は誰でしたか?」
まず、姓名を自己申告し、それから先生の名前を述べると3組だと言われた。着席テーブルは一年生時のクラスごとになっていると説明を受け、渡された名札を首から垂らした。
指定されたテーブルに行っても、男女とも当時の風貌とは異次元に変化しているので、姓名(旧姓)のみが記された名札を頼りにするしか近づくすべはなかった。幸運に相手を認識できても、当時の良き思い出が呼び起こされるかどうかは分からない。そうなると、全くの他人様として、初対面よろしくと対応することになる。幸いなことに、卒業アルバムが何冊か置いてあって、高校三年生当時の顔写真を指差して自己紹介はできたので、50数年の経年ギャップを埋め戻すのに大きな負担は感じなかった。
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青春時代を共に過ごした同窓生という絆には不思議な力があるようだ。それほど話もしたことがなかった相手が長年付き合ってきた友人のように思える。当時の思い出話に花咲くのを発端に、興が乗り始めると、私生活にまつわる打ち明け話もそぞろ出てきた。暇を持て余している年金生活の方、家業継いで忙しくしている方、難病疾患で病院通いの方、息子夫婦と不仲の方、・・・・まあ、(私を含め)それなりに深刻な事情を抱える旧友たち。多感な思春期を晒しあった仲間への警戒感は低いのであろう、アルコール混じりのボルテージも手伝って笑い話に加工して振る舞ってくれた。別に気の利いたアドバイスを期待している訳でもなく、あのころにタイムスリップしたかのような雰囲気の中で、このひと時を『非日常の極み』として堪能したかったのかもしれない。
「光陰如箭(こういんやのごとし)」筆者自刻
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宴会も後半に入り、約130人の参加者(全卒業生は約360人)はいくつかのグループに分かれて、少し落ち着いて談話する状況に移行してきた。そんな時、私の肩を後ろから叩いて近づく旧友が登場した。
「松井じゃないか。来ていたのか。半世紀振りの再会だな。俺だよ」
どうしても名前が出てこない。でも、つるんで遊んだ記憶は微かにある。
「忘れたのか。仕方ないなあ。バカ話に付き合ってくれたよな。良く覚えている」
そう言えば、お互い朴訥な感じで自然と親しくなったアイツかも。はっきりと思い出せなくて済まない。大学は別々だったので交流は途絶えてしまったが、変貌してしまった頭部をじっくり眺めてみて、やはり相性はピッタリだと確信できた。
長話はできず、携帯アドレスを交換してその場は分かれたが、嬉しい再会であった。高校同窓会の醍醐味は、親友としての付き合いが再開するかもしれないチャンスが転がっていることであろう。中学でもなく、大学でもなく、多感なあの頃に戻れる高校同窓会の特権である。
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そして、最後はお約束の校歌斉唱である。壇上に登場したのは事務局メンバーを束ねてきたリーダー。割れんばかりの拍手が終わると、不器用に指揮を執り始めた。壇上のスライドに歌詞と校舎が映し出され、いやが応でも歌いだしたくなる。久し振りに前奏を聴いてみて、この校歌(作詞;火野葦平、作曲;古関裕而)は本当に名曲だと感じた。その感銘もあって、「みんな、肩を組もう」と思わず叫んでしまった。
こんな大声で肩組みして三番まで通して歌ったのは初めてだったと思う。高校時代は全体朝礼の最後に全校生で歌うのが恒例であったが、ほとんど口パクでやり過ごしていたように思う。正面に立って、「君たち、覇気がないぞ。歌詞を吐き出せ、曲に乗れ」と鼓舞して指揮棒振っていた先生には本当に申し訳ないことをした。この曲の良さが理解できるのに、50年以上を要したということである。
最後にリーダーから7年後の「喜寿同窓会」でまた会おうと檄が飛ばされた。そうだ、また再会するのだ。男女ともに健康寿命を大幅に超える年齢になるけれども、万難を乗り越えて、自力で会場まで足を運ぶことを目指そう。そして、もっと大声で校歌を歌いあげるのだ、と密かに決意したのだった。
—令和6年11月下旬—
【題字】「任閑遊」筆者自刻 60×60mm
出典は碧厳録です。碧厳録第64則の一節に「長安城裏 任閑遊」とあります。「(禅家の師弟が旅の途中に)長安城を訪問し、特に用事もなく暇だったので、二人して街中をゆっくりと散策して楽しむ」という意味になりますが、解説書によると、長安城裏は悟りの世界を意味しているとありました。悟りの境地を得た人々は、何事もこだわりなく自由自在に振舞い楽しむことを日常とするということでしょうか。個人的には、師弟仲良くという雰囲気が好きなところです。
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(c) Masaki Matsui
【著者プロフィール】
松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。
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【連載目録】
其の壱 バケットリスト事始め 2024.9
其の弐 終わりなき稽古、いつまでやるのか 2024.10
其の参 愉しきは古稀同窓会 2024.11