毎週2回ほど合気道の稽古に出掛ける。社会人が仕事帰りに集まるので、夜7時半からの稽古となっているが、その日の夕方から気分が少し重たくなる。『あ~少し、疲れたなあ』とか『今日は晩酌の気分だなあ』とか、邪念が駆け巡ってくるのだ。きっと、いつもと同じように反復練習が続いて、大汗かいて、90分後には程よくバテてしまうに決まっている。そんな煩悩を頭の片隅に置きながら少なめの夕食を早めにとって、作法通りに道着をたたんで運動バックに詰め込んでいく。手足が勝手に動いてくれるお陰で、徒歩10分程度の道場(市立武道館)まで確実に行き着けるのである。
道場に入って、神棚と開祖(植芝盛平翁)に拝礼して、やっと『来てしまった。今日もやるのだ』と観念した気分にスイッチされることになる。終着点の判らない稽古を継続させていくには、ある種の諦観も必要になると感じるこの頃である。
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合気道との付き合いは古い。スタートラインは大学時代のクラブ活動、合気道部を選択した時点である。武道系には興味があったが、伝統ある剣道部や柔道部、ストイックな雰囲気が滲む空手道部は自然と避けてしまった。その点合気道部は創立4年目のフレッシュ感に溢れ、入部希望者全てが未経験であったので、警戒レベルが低下してしまい、喜び勇んで入部届を提出したのだった。若き日の恐れを知らない無謀さが懐かしく思われる。ここで週6回の猛練習を現役3年間続けることになった。
大学卒業後は、やはり仕事中心になってしまうので、新たに社会人としての生活スタイルを創り上げていくことが最優先となる。だから、多くのOBと同じように合気道とは全く疎遠になってしまった。
それから25年経過した47歳の時、東京の単身赴任宿舎でゴロゴロしていた休日の午後、突然電話の呼び鈴が待っていたかのように鳴った。いつもは留守録設定をしていて、相手を確認できるまで受話器は取らないのに、なぜか急いで駆け付けた。そして、音声に懐かしさを覚えた次の瞬間、驚愕してしまった。合気道部同期のA君からであったのだ。
「松井よ、土日は暇なんだろう。また合気道やろうよ」
「稽古やってるのか。指導員としてミャンマーと往来しているんだって、凄いね。僕はもう無理だと思うけど」
「大丈夫だよ。ゆっくり馴らしていけば、身体が思い出すから。待っているからな」
本当に久し振りの会話なのに、用件だけを言って電話を切ってしまったA君の振る舞いに不満たらたらになったけれど、今思うと、あれは奇跡的な電話であり、私の人生行路に大きな影響を与えたという点では特筆される事件でもあった。
それからしばらく彼の言葉が僕の脳内を反芻し、でも不安の芽がウヨウヨと湧き出てきて苦悩する時を経て、ふと『仕方ない』と割り切れる日が訪れた。学生時代の道着を引っ張り出して試着してみて、やはり太ってるな、でもぎりぎりセーフか !? と最後の関門を強引に通過させて、合気道との本格的な付き合いが始まることとなったのである。
それ以来、途絶えることなく稽古を継続しているから、合気道歴は通算で約25年となる。どう考えても、『よくも飽きずに』という評価が下されそうな長さであるが、高段者の中には40年~50年選手もしばしば見かけるので、多くの稽古人が集合した場においては、まだまだ平幕力士といった立ち位置に陣取っている。
仕事の関係でほぼ2年毎に転勤があるので、その都度、稽古させていただく道場を探し出し、これまで7道場の師範方にご指導いただいた。有難いことだと思う。これを話すと、皆さん驚かれる。転勤に驚いているのか、道場遍歴に驚いているのかは判らない。
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合気道に試合というものはない。日々の稽古においては、取り手と受け手に分かれて、申し合わせにより、技法上の「型」を繰り返し練習していくことになる。道場においては、老若男女を問わず、経験の深浅にかかわらず、相対の組となって交互に錬磨していくことになるので、そもそも優劣を決するシステムが成立する余地がない。試合をしないから競技ルールも必要ないので、技の理合さえ間違えなければ、個々の癖や工夫は許容されるし、多くの門人と稽古することにより、自己の力量は自然と分かってくる。これからもスポーツ化されることはないと思われるので、オリンピックや日本選手権のような晴れ舞台を目指したい方には不向きなものであるけれど、自分のペースで高齢になっても続けていきたい方には適していると思う。足腰が動かせる間は引退する必要はないし、仙人のような達人風を吹かせることに酔いしれていくことも可能となる。個人的には、この生涯現役を前提としているところが大きな魅力であって、世界中で稽古人が増加している原因となっているものと考えている。
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試合をしない代わりというわけではないが、演武会という発表の場が大きな行事となっている。私が稽古に通っている道場においても、年2回演武会を開催している。この10月に秋季演武会(市内各道場との共同開催)が開催され、私も入門1年程度の新参者ではあるが、師範(80代)からご指名いただき、自由演武のトリとして出場させていただいた。受け役(60代男性)は姉妹道場のベテラン有段者で普段は一緒に稽古する機会がないので、当日、早めに来てお互いに進行を確認するということにしておいたが、やはり時間的に余裕がなかったのが痛かった。
入場する1時間程前、会場の廊下の隅っこで二人の高齢者がブツブツ言い合っている。
「松井さん、技の流れはお決まりですか?」
「掴みの攻撃から始めて、打ち込みは後半に。予行できないから、サイン出します」
「ほう、サインですか。助かります」
「指で部位に触れますから、後ろ向き誘いで両肩に触ったら“後ろ両肩取り”です」
「・・(分かるかな?)・・ では、“突き”の時のサインは?」
「えーと、おなかに指をさします。ズバリですから、いけますよね」
「まあ、大丈夫ですよ。ハハハ・・・」
いざ、本番の舞台で立ち会ったら、頭に中が真っ白になって、整然とした格調高さを目指していたのに、乱取り稽古風に変貌してしまった。
そもそもサインが徹底できなかったのが悔やまれた。会場全体が良いムードだっただけに、相手の方に申し訳ない気持ちになり、その日は久し振りに落ちこんでしまった。まだまだ、修行途中ということだな。明日から、気合入れ直して頑張ることを静かに誓ったのである。そして、一日にして立ち直れるようになるのも、合気道の稽古が大好きだからに他ならないからと自覚できた。終わりなき稽古と付き合っていくには、それが好きだから仕方ないという諦観を身に着けるに限る。
—令和6年10月下旬—
【図版】歩歩是道場
由来は、「維摩経」(内容は維摩居士と文殊菩薩が痛快に対論したもの。大乗仏教成立初期の経典)の一節にあるとのことです。「歩歩」とは「今、ここ」と訳されていて、「毎日、どこでも自己を磨くことはできる」という意味になるそうです。亡き母親が茶道師範をしていて、自宅での稽古の時にこの茶掛けを愛用していました。懐かしき映像が思い起こされます。
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【題字】「任閑遊」筆者自刻 60×60mm
出典は碧厳録です。碧厳録第64則の一節に「長安城裏 任閑遊」とあります。「(禅家の師弟が旅の途中に)長安城を訪問し、特に用事もなく暇だったので、二人して街中をゆっくりと散策して楽しむ」という意味になりますが、解説書によると、長安城裏は悟りの世界を意味しているとありました。悟りの境地を得た人々は、何事もこだわりなく自由自在に振舞い楽しむことを日常とするということでしょうか。個人的には、師弟仲良くという雰囲気が好きなところです。
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(c) Masaki Matsui
【著者プロフィール】
松井正樹(まつい・まさき)。昭和29年北九州市生まれ。元国土交通省下水道部長。現在、松井技術士事務所代表。合気道稽古人(五段)、ジャズ・マニア(レコード蒐集、サックス演奏、ヴォーカル)、篆書・篆刻を嗜む。信州松本市在住。
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【連載目録】
其の壱 バケットリスト事始め 2024.9
其の弐 終わりなき稽古、いつまでやるのか 2024.10