「上下水道の未来を考える対談シリーズ」第10回にあたる下水道の散歩道第76回は、森田弘昭日本大学生産工学部特任教授と、八潮陥没事故対応等の喫緊の課題、また、上下水道の未来像について、多岐にわたり、対談をさせていただきました(2025年9月19日収録)。
森田教授とは、国土交通省の先輩後輩として、40年以上のお付き合いをさせていただいています。技術的、行政的に、幅広い実務経験を有し、管路関係、処理関係どちらにも強いバランスの取れた素晴らしい学者・研究者です。熊本市副市長の経験等、他の学者・研究者にない経歴を有しておられます。八潮の陥没事故以降は、テレビ局より引っ張りだこで、「下水道インフラに係る技術・行政のご意見番」として、大活躍されています。
今回は、「上下水道クライシス」とも言える上下水道インフラを巡る大変革のこの機に、上下水道のサステナブルな経営運営・国土強靱化・下水サーベイランス・下水道界の活性化等、「上下水道の未来像」について、幅広く、率直なご意見を聞かせていただきました。【谷戸善彦】
森田弘昭氏(写真左)と谷戸善彦氏
森田弘昭
日本大学生産工学部土木工学科特任教授
(一社)日本非開削技術協会会長
流域下水道の破損に起因する道路陥没事故に関する復旧工法検討委員会委員長
下水道等に起因する大規模な道路陥没事故を踏まえた対策検討委員会委員
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谷戸善彦
(一社)日本下水サーベイランス協会副会長
(公財)河川財団評議員
元国交省下水道部長
元日本下水道事業団理事長
[目次]
Ⅰ.森田さんプロフィール
◆二階級特進で副市長
Ⅱ.新人で赴任した土木研究所時代の素晴らしい先輩方
Ⅲ.上下水道クライシスとその背景
◆人手不足と経験不足
◆公務員に期待
Ⅳ.国交省の役割と上下水道クライシスへの対応
◆国交省発の主体的な変革を
◆実務経験に乏しいジェネラリスト
Ⅴ.ゼロベースの発想と優先順位
◆今こそフルモデルチェンジを
◆三つの最優先:「命」「国民」「国益」
◆緊急点検:自治体任せのリスクと限界
◆エアハンマー事故予防のキャンペーンを
Ⅵ.土木専門家も知らなかった硫化水素の脅威
◆「先生の硫化水素説は間違っている」
Ⅶ.調査・維持管理・技術開発の方向性
◆八潮事故の根本原因
◆まずは危ないところを抑える
Ⅷ.災害時の復旧と個別循環システムの必要性
Ⅸ.下水サーベイランスと新たな技術の可能性
Ⅹ.下水道のイメージアップと海外展開
◆テレビ出演で学生の関心高まる
◆日本の海外展開の弱点
Ⅺ.おわりに
Ⅰ.森田さんプロフィール
谷戸 本日はお忙しい中、ありがとうございます。まず私から森田さんについてご紹介させていただきます。
私は、森田さんが建設省(現国土交通省)に入省された頃から、長らくお付き合いをさせていただいております。森田さんは昭和58年(1983年)の4月に入省され、土木研究所に赴任されました。私はその2週間前に日本下水道事業団からつくばの土木研究所に転勤してきていました。
そのとき「大学院を出た素晴らしい、下水道に関する知識のバリバリの人が新人で来る」と、皆が待ち望んでいました。そこに森田さんは颯爽と赴任されました。ホンダのプレリュードという素敵な車に乗って土木研究所に来られました。「今度の新人はすごい人だ」と、職員、特に女性職員の間で注目の存在でした。あまりにもかっこいい車でしたから(笑)。それが私の最初の印象です。
◆二階級特進で副市長
谷戸 森田さんは、特に自治体での経験が豊富です。奈良県庁にも行かれました。それから、岡山県庁でも課長をされました。熊本市では二階級特進の形で副市長に就任されました(2007年)。
熊本市に赴任された当時、私は国土交通省下水道部長で、人事をやっていました。赴任した時点で森田さんのポストは部長級で、将来は副市長という話は一切ありませんでした。ところが、森田さんの活躍を受けて、当時の熊本市長、幸山さん(幸山政史(こうやま・せいし)氏)が私のところに「森田さんが素晴らしいから、副市長としてお願いしたい」と訪ねて来られました。
森田 そうだったんですか。私は、知りませんでした。(笑)。
谷戸 普通は、課長で行って、課長で帰ってくる、もしくは途中で部長が辞めたので課長から部長に昇進して帰ってくるというケースはありますが、はじめからの約束もなく二階級特進は森田さんだけです。異例中の異例でした。
森田さんの素晴らしいところは、研究者としてだけでなく、特に学生さんへの教育や指導に熱心で、その一方では、自治体関係の委員会などで、委員長を数多く務めていらっしゃる。また、日本非開削技術協会の会長も務められています。ベトナム等へも行かれていますが、管路や推進工法関係にも精通されています。そうかと思えば、キャリアの最初は水質研究室(土木研究所)に入られたように、処理や水質の分野にもお詳しい。つまり研究・教育の両面で活躍されておられ、その活躍が幅広い実務経験で裏打ちされている。こうした面をお持ちの大学教授は少ないようです。だからこそ、今回の八潮の件でも、森田さんが引っ張りだこになっているのだと思います。何にでも詳しい。そういう方に、皆さんが、マスコミの人も、話をもってこられるのだろうと強く感じています。
そういう森田さんが、ここ半年、大活躍されている中で、ぜひ森田さんの本音を伺いたいと思い、森田さんにご登場いただくことになりました。
本日は、特に未来志向で、森田さんのお考えをお聞かせいただきたいと思っています。
ご案内のとおり、現在は、「上下水道クライシス」とも言える状態です。こうした中、本日は、「上下水道の未来像」として、国土強靱化・下水サーベイランス・下水道界の活性化等、いくつかのポイントに絞って森田さんの率直なご意見をお聞きしたいと思います。
最初に、初めて仕事に就かれた土木研究所時代のご経験についてお聞きします。
Ⅱ.新人で赴任した土木研究所時代の素晴らしい先輩方
谷戸 当時の森田さんの周りの土木研究所のメンバーは、素晴らしかったですね。当時は、特に村上さんや京才さん、中村さんといった、素晴らしい方々に、土木研究所の中で、囲まれて鍛えられたことが大きかったのだと思います。上司に恵まれましたよね。下水道部門には本当に良いメンバーが揃っていました。
森田 4年間いたのですが、最初は1年間が村上さん(村上健氏。のちに建設省下水道部長)、その次の2年間が安中さん(安中德二氏。のちに建設省下水道部長、日本下水道事業団理事長)、最後の1年間が中村栄一さん(のちに建設省土木研究所下水道研究部長)でした。

谷戸 それは本当に恵まれていましたね。私が今でも、心から尊敬している先輩は、研究者としても行政官としても、その3人です。
森田 私も本当に尊敬というか、恐怖感がありました(笑)
谷戸 その3人全員と直接の上下関係で、仕事をした人はほとんどいません。それは森田さんのその後に、大きな影響を与えたと思います。
Ⅲ.上下水道クライシスとその背景
谷戸 能登半島地震のような災害や八潮の事故が起きて「上下水道クライシス」といった言葉が使われるようになりました。この問題は非常に深刻です。やむを得なかったと思う反面、事前の対応があったら、もしかしたら、と思うこともあります。私も国土交通省の出身ですが、国がもう少し先を読んで、手を打つべきところがあったのではないか、あるいは、何かが不足していたのではないかと感じています。
このあたり、「上下水道クライシス」の原因、背景、そして事前に予測ができたかどうかについて、森田さんの率直なご意見をお聞かせいただけますか。
◆人手不足と経験不足
森田 自治体の方々と仕事をしてきて感じるのは、やはり人手不足です。加えて、本省から新しい制度が次々と生まれてきて、これに全て付いて行くのは大変だろうなと、少し他人事のように思っていました。(事故が起きてから思うのは)自治体の方々は新しい制度の勉強や対応で手一杯になって、人が少ないので現場の維持管理・メンテナンスの部分がおろそかになった気がします。人も少ないですし、「昨年と同じで問題なかったから、今年も同じでいいだろう、来年もそれでいいだろう」と、そういう風に流されてしまったのではないかという気がします。
谷戸 実際に、自治体の担当者も、特に県などは異動でどんどん人が替わってしまい、下水道の経験が長い人がいなくなってしまいましたよね。森田さんが入省された頃や、その後の20~30年くらい前は、プロフェッショナルといえるような長く担当している人が各県にいました。そういう人が一気にいなくなってしまった感じがします。
森田 そういう感覚です。私はディスポーザーの話などで様々な自治体の方にお会いするのですが、「そもそも一人当たりの汚濁負荷量がどのくらいか」といった、基礎的なところから説明しないと理解されないことが増えました。これは、ディスポーザーを知らないどころか、下水道そのものを知らない職員が増えているのではないかという危機感があります。
谷戸 東京などの大都市はコンスタントに優秀な職員が多いと思いますが、森田さんが熊本にいたころはどういう状況でしたか。
森田 熊本に行ったばかりの頃は、彼らはすごく良い取り組みをしているのに、自信がないように見えました。それで私は「これは日本中で君たちのところが一番すごいんだ」という話や、「汚泥の炭化とか、こういうふうに進めれば全体的にうまくいくはず」という話をしました。するとだんだん自信を持って取り組んで、驚くほど力をつけてきました。今でも熊本に帰って彼らと話をすると、「そんなことまでやるようになったのか。すごいな!」と感心します。
谷戸 大きい市町村が中心かも知れませんが、高い能力を持つ職員はいます。ですから、地方の力が、熊本だけではなく、日本全体のために活用されるということも考えるべきでしょう。
自治体に上下水道の人材がいないというなら仕方ありませんが、いるところにはいるわけです。いないところは本当に全くいない。町村では、一人か二人で担当しているとか、そんなところもあります。それが、今のままではなく、超広域化などを考えていけば、うまくいく可能性がないわけではないと思います。
◆公務員に期待
森田 土木の世界は、なんだかんだ言って公務員がリーダーシップをとっています。公務員がしっかりしているところは、県も市町村もちゃんとしっかりしているという気がしますね。
学生と就職の話をしているとき、「自分は○○建設に決まりました」と言う学生がいます。しかし、その学生が公務員に向いているなと思うと「その会社もいいけれど、公務員になって土木の世界をリードしてほしい」と、公務員への進路変更を勧めることもあります。そういった学生たちは元々真面目ですね。
一方で怖いのは、「○○建設に決まりました」と決めていたにもかかわらず、先生が言うと、先生の言うことを聞くようになることです。教育ってやっぱり怖いなと。
谷戸 先生の影響はとても大きいですよね。
森田 最近の学生たちはあまり言うことを聞かないとか、あまり考えていないと言うけれど、少なくとも教育すれば方向は変えられると思います。
谷戸 森田さんが大学で教鞭をとり、私共NJSにも良い人材を送り込んでいただいていますが、やはり森田さん、先生の教育効果はすごいなと思います。目の当たりに感じています。
Ⅳ.国交省の役割と上下水道クライシスへの対応
◆国交省発の主体的な変革を
谷戸 現在、上下水道を取り巻く状況が非常に厳しくなる中で、国土交通省の上下水道部門は、直轄があるわけではありませんが、事実上の総司令塔であることは間違いありません。特に昨年4月には上下水道を一体的に担当する局レベルの組織「上下水道審議官グループ」が発足しました。
そうした中、厳しい言い方ですが、私は、国土交通省が、目の前だけを見た、また、外的要因による事象への対応のみに終始してきた感があると感じています。ここ数年の上下水道を取り巻く動きのなかで、具体的には、2024年4月からの上下水道行政の一体化、その前、2022年9月の岸田総理の指示による下水汚泥の肥料化、2023年6月のウォーターPPP、2024年1月の能登半島地震、そして今年1月の八潮の陥没事故と、非常に大きな案件・出来事が続いています。上下水道がこれほど社会から注目されているのは、かつてないことです。
しかし、これらはよく考えてみると、国土交通省の側から仕掛けて、自発的に政策を進めたというものがほとんどないのではないでしょうか。厳しい意見ですが、ほとんど全てが、外部の要因から起きたことへの受動的な対応という印象が強くあります。
上下水道一体化は、感染症対策における厚生労働省の組織の問題から急に出てきた話でした。自分たちが数年がかりで練り上げ、皆で議論しながら進めたというものではありません。肥料化も総理の指示でした。ウォーターPPPも財務省主導の側面があります。もちろん、それらへの対応は重要ですが、これから先の未来を見据えるときには、やはり国土交通省として、国として「どうあるべきか」を議論して、それに向かって政策を打ち出していくような、主体的な変革が必要だと思います。この点について、森田さんのご感想はいかがでしょうか。

◆実務経験に乏しいジェネラリスト
森田 基本のところで、技術者がだんだんジェネラリスト(総合職)に変わりつつある、という点が影響していると考えています。これは世の中の動きかもしれませんが、やはり現場のことをあまりわかっていないと、政策自体が世間の要請に流されてしまう傾向があると感じています。
人が少ない中、色々なことをしなければならないという問題はあったかもしれませんが、もう少し実務を勉強する、現場を知るということが大事だと思います。
言い方は優しいのですが、私が年をとったせいか、本省の若い職員たちにこうした話をしても、その奥にある技術的知識のことをわかってくれないところがあって、そこから説明しなくてはならないことが少なくありません。説明しなければこの話は分からなかったのだろうな、と思うのです。
例えば、汚泥にしても、「一体何に役に立つのか」という質問に対し、「肥料にすればいい」という単純な答えではなく、現場の皆さんがどれだけ苦労して汚泥処理対応をしているかを知らない職員が増えている中で、東京で旗だけ振っているという状況では、政策が上滑りしてしまうことになるかと思います。
谷戸 私が国土交通省にいたときは、新米の若い段階で地方自治体の現場を経験したり、日本下水道事業団で一技師として設計や積算をしたりといろんな経験を積んできた人がたくさんいました。私自身もそうですが、その時の経験が、その後の様々な判断にものすごく活かされています。
森田さんも、土木研究所に入って最初の数年は自分自身で何事もされました。水質の分析にしても。そういう実務経験が今の人たちには少なくなっているかも知れない。そのことによって、実態や本当の現場が分からなくなっている。
もう一つ。昔は、国庫補助申請や事業認可が本省決裁が多く、その協議の際、県や市の職員の方から様々な現場の情報を聞けたということがありました。自治体の方と何度も議論を重ねて、本省の人間も大変勉強になりました。現場の第一線の自治体の方から多くを教えていただきました。今は本省まで申請が来ないのでそういう経験は積めなくなりました。今の上下水道審議官グループの国プロパーの人は、現場経験のない人も多いかも知れません。その辺りが少しずつ効いているのかも知れません。
Ⅴ.ゼロベースの発想と優先順位
◆今こそフルモデルチェンジを
谷戸 こうした状況の中で、私は従来の延長線上ではなく、今の大きな上下水道クライシスをフルモデルチェンジのタイミングと捉えて、ゼロベースの発想が必要だと考えます。政策面だけでなく、水処理のあり方など、技術的な側面についても、延長線上の小手先の修正ではなく、抜本的な考え方の変革や、新たな発想を打ち出していくべき時期に来ているのではないでしょうか。この点についてはいかがですか。
森田 賛否両論あるかもしれませんが、今おっしゃったように、水処理方式の基準を類型別にしている影響を受けて、新しい技術が生まれづらくなっているのは事実です。新しい技術へのチャレンジを阻害しています。それと、世の中が厳しくなってきているせいもありますが、水質基準自体が「一度でも基準値を超えたらダメ」というように厳しくなっています。しかし、下水道で一番大事なことは衛生的な観点ですから、大腸菌が出ないことさえ達成できれば、BODや窒素・リンなどは多少変動があっても良い、というような仕組みに変えていくべきではないでしょうか。そうすればコストも変わっていくでしょうし、急には変えられないにしても、ある程度の柔軟性を持って運用でき、かつ環境にも悪くなく、自治体のためにもなるのであれば、やはり踏み出すべきだと思います。
◆三つの最優先:「命」「国民」「国益」
谷戸 今まで、そういう大きな変更は、「いかがなものか」「面倒だ」「大変だ」という理由で、だいたい延長線上で進んできました。しかし、ここにきて、予算も含めて、何が最も大事なのかをもう一度、メリハリをつけて考える必要があると思います。上下水道インフラの課題は驚くほどたくさんありますが、八潮の事故や能登の災害があった今だからこそ、優先順位を考え直さなくてはいけません。
私が最近考えているのは、やはり人命を最優先に考えなくてはいけないということです。下水道はこれまで、人命への意識が低かった部分もありましたが、八潮の陥没事故、繰り返される硫化水素事故を踏まえ、政策は、人命最優先とすべきです。これが1点目の視点です。
私が現在、危ないと思っているのはエアハンマーです。エアハンマーは、近いうちに大きな人身事故が起きる可能性があります。最近では横浜でマンホールの蓋が飛んでオートバイのすぐそばに落ちた事故(2025年7月10日)があり、先日は小平で車の前で蓋が飛びました(2025年9月11日)。ご案内の通り、平成10年(1998年)の高知市では蓋が飛んで空いたマンホールの中に転落し2名の方が亡くなりました。その後、マンホールの蓋はチェーンなどで改善されてきましたが、未だ改善されていない箇所も多いですし、急傾斜地の下流部など危険が潜んでいる箇所がたくさんあります。
どこが危ないかを特定し、それに対して各自治体で緊急の対策をとっていけば、技術的には対応が可能です。
それから、鉄道横断の管路の緊急点検です。線路の下は、数センチ沈下しただけで、脱線・転覆の可能性があります。大河川の下を通る管路も危ない。管路の腐食で川底が抜けてしまう可能性もあります。
このように、命に関わる危険な場所の対応が第一という考え方が、下水道のあらゆる行政の中で必要ではないかと最近考えています。
2点目としては、国民のために、日本国民全体のためにという視点です。
3点目は、技術的な面も含め、日本が持つ優れた技術を国益として世界にどんどん展開していくことです。下水道行政も国益を考えよということです。
この「命」「国民のため」「国益」の3点が最優先事項です。課題が多すぎるからこそ、優先順位付けが必要になると思います。
森田さんにおかれましては、これらの視点について、お考えは如何でしょうか。
◆緊急点検:自治体任せのリスクと限界
森田 「人の命」というところは、下水道事業は補助事業なので、どうしても「自治体の誰かがやってくれる」という面があります。すると国の職員は、そこの意識が薄くなるのかなと思います。
今回ピンポイントで言えば、硫化水素について知らない人が多い中、国土交通省は「危なそうなところを調べなさい」と自治体に任せていますが、硫化水素が出そうな場所や危ない場所は、管路の形状や見た目で判断できる部分があります。こうした箇所は、下水道のことをあまり分かっていない人もいる自治体に任せるのではなく、硫化水素に詳しい専門家をチームとして組織し、全国の危なそうなところを絞り込んで調査するのが、メリハリの利いたやり方だと思います。
自治体に任せても、結局、職員不足の自治体では事故が起きることになるでしょう。硫化水素のスペシャリストによるチームを組織し、例えば3年間で全国の危ない箇所を重点的に調査する体制が必要です。
人命にかかわるという点で硫化水素は最も危険ですね。
谷戸 硫化水素については、今回の全国特別重点調査は自治体に任せざるを得なかったのだと思いますが、あのような調査をさらに進めるなら、学識者や経験者が、国の地方整備局や国総研といった人たちとチームを組んでやるという形もあってよいのではないかと思います。小さい自治体にはそもそも人材がいないですから。
判定基準についても、一応、緊急度1や2といった基準を設けていますが、全国で緊急度1と判定された箇所の「濃淡」、つまり危険度の違いがあると思うんです。
森田 濃淡はありますね。緊急度1なら「1年以内に直しなさい」ということにはなっていますが、実は2年もつ管もあれば、半年で直さなくてはいけないものもあります。基本、鉄筋が露出していても、鉄筋自体の腐食速度は遅いので、スチールセグメントのようなもので出来ていれば構造的にはもつわけです。しかし行政としては「2年」と言われると、「そんなに伸ばしていいのか」という議論になりがちですね。でもそこは、やはり勇気を持って、本当に危ないところと当面大丈夫なところに分けるべきではないでしょうか。
谷戸 こうした場面では、一人の専門家というよりも「一つのチーム」として対応することが重要だと感じます。
たとえば、現地まで完全に赴かなくても、画像を持ち寄ってオンラインで共有すれば、ある程度の判断は可能です。その際には、経験豊富な先生方も含めたチーム全体で一斉に画像を見て意見を出し合う、といった形が考えられます。
実際、見る人によって捉え方に大きな差が出ることがあり、その違いをどう調整するかが課題だと思います。
だからこそ、複数の箇所を横並びで比較しながら判断できる仕組みが必要だと強く感じています。
森田 全くその通りだと思います。やはりリーダーを立て、そのリーダーが「こういう時はこうしましょう」という教育を徹底することが、アンバランスを減らすことにつながると思います。
◆エアハンマー事故予防のキャンペーンを
森田 エアハンマーについては、今までは「(マンホール蓋の飛散は)自動車が通るときに危ない」というレベルの認識でしたが、「雨の時はそばに寄らない」といったことを徹底的に市民に伝える必要があります。これは下水道の弱点かもしれませんが、隠さずそれを伝えるのが大事です。
エアハンマーには前兆(異音)がありますから、「カタカタと音がしたらその場に行かない」というキャンペーンを、人命を守るという意味で徹底すべきです。根本的な改修には時間がかかりますので、まずは「こういう状態になったら危険ですよ」というキャンペーンをすべきではないでしょうか。
Ⅵ.土木専門家も知らなかった硫化水素の脅威
◆「先生の硫化水素説は間違っている」
谷戸 八潮の陥没事故は森田さんがずっと深く関わってこられました。1月28日の事故発生以来、関連する全ての委員会に森田さんが参加され、最も詳しく現地を見てこられました。事故から8カ月ほど経ちますが、この間の委員会の議論の中で、一番驚かれたことは何でしょうか。
森田 各委員会には、総合的な検討を行うために様々な専門家がいらっしゃいますが、「硫化水素でコンクリートが溶ける」ということを知らなかったことです。
谷戸 それは驚きですね。
森田 私は最初から「これは硫化水素による腐食の結果だ」と訴えていたのですが、最初はお互いに大人ですから、「そんなことを言うな」とはなりませんが、「この人たちは聞いてないな」という感じでした。しかし、3カ月ほど経って、迂回管ができ、溶けたセグメントを回収して現物を見せたら、やっと私の話を聞いてくれるようになりました。同じ土木屋でもこんなに違うのかと。
谷戸 そうですね。硫化水素の発生メカニズムは、化学的反応ではなくてバイオの世界で、硫酸還元菌や硫黄酸化細菌の働きがほとんどです。国民、一般の人は知らないでしょうが、土木の先生でも知らないのですね。驚きました。
森田 検討してくれる企業の人たちも、私はずっと硫化水素だと主張していましたが、やはり現物を見るまでは半信半疑で、現物を見てから「先生の言っていたことが正しかったです」と。土木工事の経験豊富な企業でも知らないのかと驚きました。
谷戸 硫化水素による腐食問題が原因だろうということが、事故を通じて、3月、4月、5月ころに初めて広く伝わった側面があります。私の周りの土木技術者でも、「下水道の管路腐食がああいうメカニズムで、硫化水素が大変だとは知らなかった」と言う人が多かったですね。
森田 事故の初期の頃、よくテレビに出ていましたが、「先生の硫化水素説は間違っている」というメールをくれたOBもいました。
谷戸 下水道の関係者でも、1980年代の半ば以降しばらくの間は処理場や管路のコンクリート腐食が話題になりましたが、ここ10年、20年ではあまりクローズアップされていなかったように思います。
森田 そうですね。たぶん50年くらい前に全国のいくつかの処理場のコンクリートがボロボロになったり、管が落ちたりして、それで日本下水道事業団がマニュアルを作り始めました。当時の情報は、今よりもっと知られていなかったでしょうから、あまり広がらなかったのだと思います。
谷戸 1985年にアメリカのEPA(環境保護庁)が硫化水素対策、硫酸腐食のマニュアルを作っていたのはご存知の通りです。アメリカでは現場で管路の腐食が問題になり、徹底的に実態調査をしてマニュアルを作り上げていました。「設計においても腐食を考慮しなければならない」という話です。それを日本の関係者(土木研究所、本省、日本下水道事業団)が集まって翻訳しました(EPA設計マニュアル:下水道施設の臭気と腐食対策)。1988年頃です。日本もいずれ来るぞという意識はあったのですが、しばらくすると薄れてしまいました。
Ⅶ.調査・維持管理・技術開発の方向性
谷戸 八潮の事故を受けて、すぐに100%できることではありませんが、大口径管に人が入って目視で点検するとか、これまでの点検・調査のあり方を見直す必要があります。空洞調査にしても、委員会に道路専門の方が入っているので話題になっていますが、人がやることの危険性のほうがよほど高いのではないかと私は思っています。もちろん地上から深いところまで完全に調査できるならそれは素晴らしいことですが、今は技術的に2メートルくらいまでなので、そういう人が立ち入りにくい箇所の点検・調査は、国はしっかりやるようにと言っていますが、行田市の事故のような問題が起きる可能性もあるのではないでしょうか。
今後は、もう少し先をにらんで、できるだけ管路には入らず、センサー・ドローン・ヒューマノイド(人型ロボット)を活用した無人化・ロボット化で点検していく方向に早めに舵を切るべきではないでしょうか。この点はいかがですか。
◆八潮事故の根本原因
森田 私は技術者ですが、根本的なところから言うと、例えば直径4.75mの巨大な管を作る際、「どうやって維持管理し、どうやって直すのか」という具体策を決めずに作ったことが、問題だったと思います。
谷戸 全くその通りですね。
森田 だから、最初から管を二本入れるとか、背割り(管内を二分割)にするといった工夫があって然るべきだったと思います。
谷戸 当時の下水道関係者は、腐食については、いずれ来るだろうとは思っていたものの、「もう少し先だろう」という考えと、「それまでにロボットなどによる画期的な技術革新が来るだろう」という甘い考えがあったかもしれません。
◆まずは危ないところを抑える
森田 現状でできることを考えると、一番危ないのは硫化水素ですから、さっき言いましたように、危ない箇所は事前に判るわけです。落差があるところや、90度の急カーブとか、あるいは上流の勾配が緩い箇所なら硫化水素が出やすいと判断できます。ドローンなどを活用した技術開発も大事ですが、まずは危ないところを抑える。
例えば、八潮のように大きくて深くて硫化水素濃度の高い場合の対策は、もう一本管を作るしかありません。さらに緊急性のあるところは、劣化した管路の周辺地盤を薬液注入で固めるなど、現実的な路線、すぐにできる対策をやるべきではないでしょうか。

谷戸 本当にそうですね。夜でも水が流れているところは、管更生ができるのかという問題がありますし、やはり二条化やバイパス管を作るしかないケースが多い。ただし喫緊の対策としては、薬液注入で固めるなどの対応を考えなくてはいけませんね。
その際、危険度の把握がポイントになります。
森田 本当に危ないところは、地上から、調査ボーリングをやって、そこに硫化水素計を付けます。コアを採取して腐食状況を判断すればいいと思います。
今、多くの人たちは特別重点調査の前と同じ方法で調査しているはずで、だったら結果も同じようになると思います。そうであれば、まずは都市部の管の状況を見て、危ないところだけピンポイントで調査していく方が効率的です。
谷戸 今後、バイパス管の新設や二条化をする際、腐食が進むと管の内側の色が変わるといったセンサー機能を持たせるとか、新たな発想の技術を組み込むべきではないでしょうか。
人類が生きていく限り下水道は必要で、今回は布設から初めての大規模な更新ですが、今後も更新は人類が生きている限り永遠に続くわけですから、次の更新に向けて、今回のバイパス管にはもっと徹底的に何かできないものかと思います。
森田 二本あれば順番に使えばいいので、片方をカラにすれば更新もできるし、いろいろな対策が可能です。
八潮の場合は、将来的にバイパスを作りますが、内側はシートライニングなどの防食対策を講じることで、相当な耐久性を持たせることができます。
谷戸 その新しい管を作ったあと、今の管もまた使うのですか?
森田 そういう提案をしています。決定はまだですが、両方使うという方向です。普段は一本に流しておき、次の一年はもう一方に切り替えて、空いた側は不明水対策に、というイメージですね。そうすれば、一年でも半年でも、補修の期間が取れます。
Ⅷ.災害時の復旧と個別循環システムの必要性
谷戸 能登半島地震を踏まえて、復旧の遅れの原因や、今後の耐震対策について、上下水道インフラで特にご意見・注意すべき点はありますか。
森田 能登半島は、東北もそうでしたが、水道も下水道も、復興にあたって、今までのフルスペックで整備することは無理があります。今後は人口が減り、お金も減り、やる人もいないという状況で、さらに、被災地の断層がずれるような状況を見ると、どんな方法でも直すのは厳しいと感じます。
ですから、地域ごとに限界集落になる時期を見極めた上で、この地域は20戸ほどの浄化槽にするといった、個別循環システムが必要です。
谷戸 先日WOTAのCEO、前田さんの、防災対応と過疎地対応の講演を聴きました。防災対応としては、能登の時には全国から個別水循環システム装置を集めて、避難所や病院などに配備して、大きな効果があったそうです。しかしこの時は慌てて集めて何カ月もかかったそうで、今後は何とか短縮しようと、知事会に働きかけて、各県が分散して購入して、何かあった時には、そこに全国から水循環システムを届ける。そういう内容で、現在30くらいの県がWOTAとの間で協定を結んでいるそうです。
Ⅸ.下水サーベイランスと新たな技術の可能性
谷戸 下水サーベイランスは、国土交通省にとっては厚生労働省がメインの仕事だろうという意識ですが、47都道府県の処理場から200箇所くらいを選定して、できれば厚生労働省と連携して、平時からモニタリングポイントを構築しておくべきと考えています。
ネクストパンデミックは必ず来ます。平時の今こそ下水サーベイランス体制を構築して、有事の際に迅速な対応ができるようにする。これは尾身茂先生なども強く主張されています。実際に病院に来る患者数調査の結果(定点観測等)と下水サーベイランス調査結果の両方をにらみながら種々の判断をすることの有用性を尾身茂先生や東京都医師会が強く主張しています。ワクチンの配給先と数の最適化や、学級閉鎖の判断、お医者さんをどう配置するか、病床の配分等に活用できます。そこで、ネクストパンデミック対策として、下水サーベランスモニタリング網を平時の今こそ作っておいて、いざという時に即座に対応できるようにしようと、医師会、尾身先生等学識経験者が考えています。
政府からは分析費に補助金をつけてほしいという思いもありますが、モニタリング網の構築は何としても政府主導で実現すべきと考えています。
また補助金を出すのは国土交通省は、根拠がないと厳しいという中で、下水サーベイランスの分析手法を応用して、東北大学の佐野先生がすでにやっておられますが、硫化還元菌や硫黄酸化細菌の地域分布・経年変化を解析することで、管路の腐食危険度マップが作れる可能性があります。そうなれば、国土交通省が自分ごととして取り組むきっかけになるかもしれません。
森田さんはそのあたり、下水サーベイランスの必要性についてどうお考えですか。
森田 東北大学の佐野先生がやっている硫黄酸化細菌の分析は、頻繁に測らなくても、年に数回程度でも、細菌が増えていったら腐食箇所が増えていると判りますし、鉄バクテリアなども鉄筋が出てきたらそれを食べるわけですから、指標になります。ぜひやってほしいですね。
谷戸 そうですね、大した費用もかけずに、毎週でもなくて、処理場は重金属類を月に2回測りますが、そんなときに採水して、また毎回分析しなくても下水を冷凍保存してあとでまとめて分析しても良いので、こうしたことを、中野国土交通大臣と国土交通省の方に提案しているところです。
こうした取り組みが、下水道の新たな価値創造につながり、下水道のイメージアップにもつながると思います。また、何より、下水サーベイランスは、先程政策の優先順位で上げた「人の命を救う政策」、「国民のためになる政策」、「日本国の国益になる政策(我が国の下水サーベイランス技術は世界一です。)」の3点のすべてに当てはまります。
森田 下水サーベイランスについては、管路に穴が開いて土砂が入ってくると沈砂量が増えるだろうと考え、今、「下水道統計」で分析しているのですが、中川流域は、単位水量あたりの砂の量が多いことがわかりました。こういう下水サーベイランスにつながるような検討も、いま大学でやっています。
Ⅹ.下水道のイメージアップと海外展開
◆テレビ出演で学生の関心高まる
谷戸 最後に、今回の八潮の事故で、下水道が「怖いもの」「危ないもの」というイメージダウンにつながっている懸念があります。一方で下水道関係者と話をすると、「下水道のことをよく分ってもらえて良かった」とか「予算獲得のうえでは良かった」と言います。
しかし学生にとっては、下水道は危険でダークなイメージが強くなったと思います。そういう面を克服しながら今後下水道、上下水道が花形の職業になるためには、どういうところに注力すべきでしょうか。
森田 今回、八潮で人命が失われたのは不幸なことですが、下水道のPRという意味ではすごく効果がありました。大学では、研究室を訪ねてくる学生がすごく増えました。みんな八潮のことを含め、下水道のことを聞いてきます。また多くの関係団体などから講演の依頼がたくさん来ています。テレビ出演の影響は大きいと思います。
◆日本の海外展開の弱点
森田 それから、もう一点。現場を知らないことの弊害で、海外展開がうまく行きません。海外では、現地の政府と長く付き合い、信頼を得て初めて受注となります。どこの国も役所が意思決定をしますから、民間企業と一緒に国もついていくと良いと思います。アメリカは企業のCEOが大統領と一緒になって営業します。でも日本はJICAも含めてあまりやりたがらない。そうすると、韓国、中国、ヨーロッパに負けてしまいます。日本国内で国が特定の企業を優遇するのは難しいですが、海外に行くときには、そこはちょっと切り替えて行くべきだと思います。国土交通省の名前で行くことは、一番役に立ちますから。
谷戸 先ほども触れた「国益」ですね。「官」が前面に出ることは、国益という点でも非常に有効です。上下水道の技術は、「世界に持っていける」ものがたくさんあるはずです。種はいっぱいあるような気がします。その意識を持って、今後の技術開発に取り組むべきだと思います。
Ⅺ.おわりに
谷戸 日本も、これから、老朽化対策等、目の前の課題への対応だけでなく、未来を俯瞰して、人命にかかわる、国民のためになる、国益に資する上下水道重要政策を実施していくことが、大切だと考えます。
本日は、大変お忙しい中、お時間をいただき、忌憚のない貴重なご意見を頂き、本当にありがとうございました。
プロフィール
森田弘昭(もりた・ひろあき)氏
日本大学生産工学部土木工学科特任教授。(一社)日本非開削技術協会会長。流域下水道の破損に起因する道路陥没事故に関する復旧工法検討委員会委員長。下水道等に起因する大規模な道路陥没事故を踏まえた対策検討委員会委員。建設省入省。岡山県下水道課長、熊本市副市長等を歴任。趣味は、ゴルフ、ビール。
谷戸善彦(やと・よしひこ)
建設省入省。1987年西ドイツカールスルーエ大学客員研究員。その後、京都府下水道課長、国土交通省東北地方整備局企画部長、国土交通省下水道事業課長、同下水道部長、日本下水道事業団理事長、㈱NJS取締役技師長兼開発本部長等を歴任。現在、㈱NJSエグゼクティブアドバイザー(常任特別顧問)、一般社団法人日本下水サーベイランス協会副会長、公益財団法人河川財団評議員等を務める。趣味は、読書、犬、旅行。