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北島正章×谷戸善彦【上下水道の未来を考える対談シリーズ第6回】

連載 谷戸善彦「下水道の散歩道」第69回

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 「上下水道の未来を考える対談シリーズ」第6回にあたる本連載「下水道の散歩道」第69回は、東京大学北島正章特任教授をお訪ねし、お忙しい中、1時間を超えて、対談をさせていただきました(2024年9月26日収録)。
 北島正章先生は、今年3月1日に、東京大学に新設された「国際下水疫学講座」の特任教授に就任されました。「下水疫学(下水サーベイランス)」の分野では、被引用論文数が世界トップレベルの国際的権威です。
 また、一昨年5月12日に発足した「一般社団法人日本下水サーベイランス協会」の理事と、昨年8月25日に発足した「全国下水サーベイランス推進協議会」の理事を務められておられ、下水サーベイランスの社会実装に向けて、活躍されています。
 今回は、水環境工学系へ進まれたきっかけと今日までの研究の系譜をお伺いした後、下水サーベイランスの社会実装に向けての課題と展開方向をお聞きしました。そのあと、上下水道行政の一体化への期待、能登半島地震・豪雨被害を受けての今後の国土強靭化に向けての展望、学生さんにとって魅力ある上下水道業界にするために何が必要か等について、幅広くご意見を聞かせていただきました。



北島正章氏(右)と谷戸善彦氏

北島正章

東京大学 大学院工学系研究科附属水環境工学研究センター 特任教授(国際下水疫学講座)
(一社)日本下水サーベイランス協会理事
全国下水サーベイランス推進協議会理事

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谷戸善彦

㈱NJSエグゼクティブ・アドバイザー(常任特別顧問)
(一社)日本下水サーベイランス協会副会長
全国下水サーベイランス推進協議会理事
(公財)河川財団評議員
(一社)日本非開削技術協会理事

環境への興味の源流は、農集排の整備に携わっていた父

谷戸 お父様が地方公務員として農業集落排水の整備に関わっておられたことが環境に興味を持たれたことに影響していると聞きました。

北島 先週末、家族一同集まって古希を迎えた父のお祝いをしたのですが、隣に座っていた父が「正章は小学生の時に近くの川の上流から下流まで調査したね」としみじみ語っていました。
 私もはっきり覚えていますが、私が住んでいた佐賀県東脊振村(ひがしせふりそん)には、当時保健所がなく、水質検査をするような施設もありませんでした。隣町の神埼町には保健所があって父が村役場の環境整備課に勤務していたので、神埼町の保健所の方にお願いしてくれて簡易的な水質検査をさせてもらいました。水を保健所に持って行ってpH等を測らせてもらった記憶があります。田手川の上流から有明海の河口近くまで父が車を運転して連れて行ってくれました。
 上流に行くとトビケラなど綺麗な水のところにしか住んでいない生物がおり、下流に行くと汚れた水に住んでいる水生生物がいる。図鑑と照合して、だいたいこの辺から川が汚染されていると自由研究で調べました。
 私の環境への興味の源流はそこにあると思います。幼少期に父が仕事をしているのを見ていました。私の家のすぐ前をドブ川が流れていて、当時、し尿はバキュームカーで汲み取られていましたが、台所の排水、風呂の排水など生活排水はそのドブ川に流れてくる、そういう時代でした。そうした中で父が村役場の環境整備課で農業集落排水事業に携わっていまして、家でもその話をしていました。当時、私は小学生だったんですが、父は、下水処理は活性汚泥法という処理方式で、微生物が汚れを食べてくれて水が綺麗になっていくんだと食事の時に教えてくれていました。

谷戸 小学生で活性汚泥法による生物処理を知っているのはすごいですね。

下水道整備で川がきれいになり、蛍が戻った
小中学生の時に自然環境・生活環境の向上を体感  

北島 小中学生の時に家の前の道路で下水道工事が始まり、下水管を埋めて各家庭と接続していって水洗化が進みました。数年後には私の実家も下水道で水洗化されました。下水道に接続されることで生活環境も良くなりますし、生活排水が流れ込んで汚れていた近くの川が見違えるほどきれいになりました。下水道が整備された後は蛍が出るようになったんです。今でも蛍が出ます。こうした変化を見てきて、やはり環境整備って大事だな、人の生活を良くするんだなと思いました。

谷戸 北島先生の人生選択・職業選択は、小学校のころから、今日まで一本のレールで見事に繋がっていますね。北島先生が東京のご出身なら、当時は、東京は、すでに下水道が完備していました。今日の北島教授は存在していませんでしたね。見事に、下水道整備のタイミングと先生の小中学校時代の生い立ちが重なりました。

中学2年で見た北九州下水道展 下水道は一大産業と驚き  

谷戸 中学時代の夢は。

北島 実は私は、中学校ぐらいまで、将来の夢は何かと聞かれた時、村役場の職員と答えていました。その後は、中学校の先生から「北島、夢を大きく持て」と言われたので変更して県庁職員になりますと言っていました。ところが、中学2年生の夏休みに北九州市で下水道展(下水道展’98北九州)がありまして、父親にそこに連れて行ってもらったんです。すごい大きな管渠とかマンホールとか水処理機械とかを見て、ペンなどのノベルティグッズをもらったりして嬉しかった記憶と共に、下水道は一大産業なんだなと感じた記憶があります。

谷戸 下水道インフラ産業界との初めての出会いでしたね。

佐賀県初、高校球児から現役東大合格へ  

谷戸 東京大学を目指されたきっかけは。

北島 一学年100人ぐらいの小さな中学校に通っていて、その中学校では1番の成績を取ることが多かったですが、自分が佐賀県内でどれくらいの位置にいるか、まして全国でどれくらいの位置にいるかは、全然わからない状況でした。私は佐賀県立致遠館(ちえんかん)高校に推薦入学で入ったんですけれども、面接で入学の動機を教えてくださいと、先生に聞かれました。「私は東京大学に入りたいので、この高校を選びました」、と答えました。面接で話してしまったがために、入学後も第一志望は東京大学といわざるを得なくなったわけです。自分にプレッシャーをかけることになりました。私は小中学校で野球をやっていたんで、高校も硬式野球部に入って高校野球もやりつつ、第一志望は東京大学と言っていたんですね。でも佐賀県では前例がなく、担任の先生からはいずれはどっちか一つは諦めなきゃいけない時が来る、それは覚悟しとけと言われて、でもまだ1年生だから様子を見ようっていうことになりました。志望校は、東京大学と言い続けたことが有言実行につながりました。言ったからには勉強しなきゃいけない、野球とも両立しなきゃいけないということで、効率的な勉強法も研究し、頑張りました。野球もしながら勉強もしていて、3年生の夏の大会まで、それほど成績が落ちなかったんです。野球が終わって勉強すれば、東大は狙えるくらいの成績でした。夏の大会が終わったらやっぱり時間ができるんですね。他の学生に比べると、それまで時間が限られた中で詰め込んで勉強してきたところ、時間ができたので、成績が伸びるわけです。こうして無事、東京大学に現役合格しました。

谷戸 高校野球レギュラーと勉学の両立はすごいですね。

北島 佐賀新聞に当時取り上げられましたが、硬式野球部現役で3年生まで部活をやって東大に現役で入ったのは佐賀県で後にも先にも私しかいないみたいです。2年の夏の大会では、県でベスト8までいきました。その時は8番セカンド、2年秋からは2番セカンドでした。

片山先生の言葉で水系ウイルスの研究に進路を決める  

谷戸 学部の卒論研究のテーマはどのようにして選択されましたか。

北島 大学時代は現在の研究につながる研究を大垣(眞一郎)先生、片山(浩之)先生のもとでさせていただきました。

谷戸 卒論テーマの選択のための教員の方からのガイダンスとその後の懇親会の席上、隣に座った片山先生の話に心酔されたと聞きました。

北島 その通りです。片山先生も私もお酒が好きで、話が盛り上がりました。よろしくお願いします、とか言いながら、「先生、どういう研究されているんですか」とお聞きしました。片山先生は、「水系のウイルスの研究している。ウイルスの研究というのは、すごくいろんな人と組みやすい。上水とも組みやすい、下水とも組みやすい。水環境、河川、湖沼、海とも組みやすい。それから海外調査でも声をかけてもらえやすい。だから、このウイルスの研究っていうのはすごく魅力的だぞ」とおっしゃいました。この片山先生の言葉で、進路を決めました。今でも、片山先生のこの言葉を、鮮明に覚えています。現在の下水サーベイランスの研究は、この言葉から繋がっています。水系ウイルスの研究は、上下水道、水環境は、当然のこと、医学、農学、薬学等多くの分野の方々と連携をしないといけません。おかげで、幅広い分野の方々との交流・共同研究が進み、今日の成果に結びついています。

今に繋がる研究の系譜をたどる  

(1)学部の卒論テーマはコイヘルペスウイルスの検出
 世界的にも珍しかった水中のエンベロープウイルスの研究

谷戸 卒論の研究後、修論、博士論文、米国・シンガポールでの研究と幅広く、しかし、一本筋の通った形で、数々の研究をこなされ、多大な成果を上げて来られました。

北島 学部の卒論の研究テーマはコイヘルペスウイルスの検出でした。当時の大垣研究室では、ノンエンベロープウイルス、具体的にはノロウイルスとかポリオウイルスなどを扱っていたんですけれども、初めて、学部学生の私がエンベロープウイルスを扱うこととなりました。エンベロープウイルスの、水からの検出を初めて試みました。世界的にも当時、水中のエンベロープウイルスの研究はほとんどされていませんでした。コイヘルペスウイルスの濃縮法の検討を私が卒論でやっていて、エンベロープウイルスである新型コロナウイルスの発生まで、エンベロープウイルスの下水からの濃縮法を検討した人は世界にもあまりいませんでした。新型コロナウイルスの下水サーベイランスにあたり、私たちのコイヘルペスウイルスの論文がすごく参考にされました。

谷戸 エンベロープウイルスの下水からの濃縮・検出はかなり難しいのですか。

北島 ウイルスの物性が違いますので、難しいです。エンベロープウイルスはポリオウイルスなどの小さなウイルスに比べると5倍から10倍ぐらい大きく、また、脆いのです。外側が脆いので壊れやすくウイルスとして回収するのがなかなか難しいのです。濃縮法をいろいろ検討して卒論は完成しました。
 また、もう一つ今につながるものがあります。早期検知です。これは先輩の原本さん(現山梨大学教授)が多摩川で2003年から2004年にかけて集めてきた川の水の濃縮されたサンプルがあって、それを使って私が卒論生として、コイヘルペスウイルスを分析しました。そうすると非常に面白いことがわかりました。多摩川で鯉が大量死する4カ月前のサンプルからコイヘルペスウイルスのDNAが検出されました。これが私の卒論の大きな成果です。魚が死ぬ前に川の中にはウイルスが存在していて、その魚が死ぬ兆候が現れていた。このことを示すことができたのが、20年近く前の私の卒論の成果です。

谷戸 卒論のレベルでその成果はすごいですね。

(2)修士から博士課程ではノロウイルスを研究
 現在の「下水サーベイランス」に繋がる成果

谷戸 博士課程の研究は、現在の「下水サーベイランス」に繋がっているとのことですね。

北島 修士から博士にかけては、ノロウイルスをはじめとした研究をしました。ノロウイルスのゲノム解析が一つの成果です。多摩川の水と東京都内の下水処理場の流入下水を取って両方のノロウイルスの遺伝子解析をしました。博士の時の主な研究テーマだったんですけれども、これも非常に面白いことがわかりました。下水や多摩川の水から得られるノロウイルスの遺伝子型は非常に多様です。同じ時に同じ地域、つまり東京の病院で受診した人から検出されたノロウイルスの遺伝子型と比較すると、かなり遺伝子型の種類が多いのです。下水とか川から検出された遺伝子型の一部は人からは検出されていませんでした。臨床報告として上がってきていないのは、不顕性(症状が出ない)感染や病院に来ない人がいるからです。不顕性感染や病院に行かない人の感染状況も、下水からは察知できるということです。下水中のウイルス、または河川水域のウイルスのゲノム解析をすると、流域の真の流行状況が分かります。こういうことを既に当時提唱していました。「下水サーベイランス」です。海外でも、当時、成果をかなり評価していただきました。

(3)リアルタイムPCR分析法をいち早くマスター

谷戸 PCR分析技術も、当時マスターされたのですか。

北島 はい。今使っている定量PCRと同じものです。2005年に、コイヘルペスの研究の時と使っていた時から、原理とか全く変わっていません。当時は本当に世界最先端のウイルス定量化手法でした。リアルタイムPCRです。

谷戸 今でこそ、PCRは、世の中に認知されてきましたが、その当時は、学者の世界でも、PCRはぼちぼち出だした頃でした。

北島 2000年代前半は、リアルタイムPCRが大学に普及し始めた頃です。2000年代前、90年代までリアルタイムPCRは、ほとんど使われていませんでした。定性的なPCRだけでした。

谷戸 それこそ、リアルタイムPCRが実用化したときですね。ちょうどその時に北島先生は、学生でおられて、リアルタイムPCRを真っ先にマスターされたわけですね。本当にそういうめぐり合わせなんですね。

北島 そうですね。いい時期に学生でした。

谷戸 その後、アメリカやシンガポールで、研究されているとき、北島さんがリアルタイムPCR分析に詳しいので、同僚の皆さんから、指導を求められ、コミュニケーション等に大変役立ったそうですね。

北島 アメリカに行った時に、私が身につけていたリアルタイムPCRの技術で遺伝子を定量できることが武器になりました。

新型コロナ発生を受け「下水疫学」の論文をまとめる
2020年4月の発表後、世界で500件以上引用  

谷戸 5年前2019年の秋冬の中国からはじまり、年が明けて。新型コロナウイルスの発生がクローズアップされてきました。このタイミングで、下水疫学を使って、新型コロナウイルスの流行の把握ができるのではないか、これを発想・決断された経過を教えてください。

北島 そのタイミングはですね、今でもはっきり覚えているんですけれども、2020年の1月ですね。2020年の1月に、我々も役に立てることがあるんじゃないか、と考え始めていました。しかし、私は、2019年まではノロウイルスを中心として腸管系ウイルスの研究をしていて、固定観念で新型コロナウイルスのような呼吸器系ウイルスは我々下水の研究者で貢献できることはなかろうと思っていました。その中で、世界の論文を見ていますと、肺炎の患者の中にも下痢症を起こす患者さんが結構いる、その便を調べると便の中からウイルスが検出された、生きているウイルスも検出されるしRNAも検出された、それもかなり高い濃度で排出された、腸の中でもウイルスは増える、という論文が次々と発表されました。これは、私たちも、貢献できるんじゃないかと考え始めて、原本(英司)先生と、オーストラリアの研究者と、1月の末から共同研究、情報交換を始め、このアプローチを「下水疫学」と呼んで論文にまとめました。2020年の4月に発表しました。その論文は500件以上引用され、世界の注目を浴びました。それまで進めていた別の研究テーマもあったんですけれども。それはもう全部ストップして、その後は、下水疫学の研究に集中しました。そして、塩野義製薬との共同研究で、世界トップレベルの下水中ウイルスの濃縮・分析手法を開発しました。

谷戸 そのころ、㈱NJSも、村上社長以下、下水疫学にいち早く注目し、私も北島先生のところに伺い、いろいろ教えていただきました。北島先生とは、その時からのお付き合いですね。

北島 その当時、大学院生だった荒川千智さん(現クボタ)、学部生だった安藤宏紀さん(現アリゾナ大学公衆衛生大学院)、卒業後札幌市役所に入り、現在、下水サーベイランスを札幌市で担当している太田輝之さんなど当時の学生の皆さんは、下水疫学の研究に没頭し私を支えてくれて、頭が上がりません。よくやってくれました。彼らはいまも下水道や、下水サーベイランスに関係する分野で活躍してくれていて、私としてはすごく嬉しいですね。大学教員冥利に尽きます。

下水サーベイランスの活用意義、社会実装への課題と展開方向  

谷戸 下水サーベイランスは、今年6月21日に閣議決定された「骨太の方針2024」に明記され、7月2日に閣議決定された「新型インフルエンザ等対策政府行動計画」にも、しっかりと位置付けられ、かなり、活用意義等は、日本政府等日本国内でも、認められてきました。しかし、本格的な社会実装は、まだ、緒についたばかりです。下水サーベイランスの国際的権威の北島先生から見て、我が国における下水サーベイランスの社会実装の課題と解決の方向性・展開方向はいかがでしょうか。

(課題1 制度化)

北島 いくつかの課題があると思います。一つは、下水サーベイランスの制度化です。下水疫学調査(下水サーベイランス)を制度として位置づけないと、なかなか全国レベルでは進まないと思います。例えば、下水処理施設の水質検査項目の一つとして、ウイルスを測ることを義務付けるとかですね。一気に義務付けとまでいかなくても、現在、ウイルスを測りそのデータを活用する有用性が認められつつあり、活用意義が国民に認識される一歩手前までは来ていると思います。一方で、これから有事がいつ起こるかわからないこのタイミングで、義務化のような制度のみに頼っていては、いざという時、機動的な使い方ができないと思います。例えば、新しいウイルスへの緊急対応、バイオテロへの対応等です。それらに対応するためには、日ごろから、下水サーベイランスを全国の下水処理施設の相当箇所で平素から実施していることが必要と思います。何か新しい事態が起こった時にすぐに発動できるような準備が整っていることが必要だと思います。

(課題2 コスト)

谷戸 制度面以外の課題は如何でしょうか。

北島 もう一つはコスト面が課題だと思います。今はまだ、分析費用が高く、それが社会実装のネックになっています。社会実装が進み、コンスタントにスケールメリットが出ると、価格は大きく変わると思います。価格が下がらないから、国としてもラージスケールで進められないという、どちらが卵か鶏かという状況になっています。打破する方策は二つあります。一つは、無償で広げて、需要を呼び込み、効果を評価していただきながら、スケールメリットを出し、設定価格を決め、今度は有償で契約いただき、利潤を出す手法です。米国はこれで進みました。もう一つは、トップダウンで、国に先導的に予算をつけてもらい、スケールを拡大し、コストを下げるやり方です。今のところまだ、どちらもスムースに働いていません。他にもいろんなアプローチがあるとしても、コストをもう少し下げることは、必要です。流行が拡大した状況下等、必ずしも高感度な手法が必要でない局面もあります。ケースバイケースで手法の選択が必要かもしれません。

(課題3 全国的な実施体制構築)

谷戸 全国的な下水サーベイランス実施体制の構築も課題かと思います。

北島 おっしゃる通りです。先ほども言いましたように、平時から、下水処理施設で、サンプルを常に採れる体制を作っていくこと自体が重要だと思います。有事等の状況に応じ、柔軟に対応するには、平素の実施体制の構築が必須です。例えば、本当に重要な病原体が出てきた場合には、最初の濃度は低いと思われますので、その時は感度が高い技術を使うとかですね。そのような柔軟な運用のためには、まず、平素からの体制が大事です。大中の下水処理施設を中心に、各県必ず一か所以上、全国の下水処理施設の一割に当たる200箇所程度の処理施設で、下水サーベイランス実施体制を構築したいところですね。
 よく厚生労働省・国土交通省に申し上げているのですが、下水処理施設から定期的に、週に1回でいいのでサンプルを採る、そういうオペレーションを常に平時からやっていくことが重要です。これにより、有事が起こった時に、検出対象ウイルスを増やすとか、頻度を増やすとかの対応ができます。

(課題4 海外情報の収集)

谷戸 さらに課題はありますか。

北島 もう一つなんですけど、日本がもう少しやらなければいけないなと思っているのは海外の情報収集です。海外でどういう形で下水サーベイランスを進めてきているのか、先進的な事例を聞いて、活かすべきと思います。先週、台湾に呼ばれて、講演等に行ってきました。今まで、台湾の状況は、日本に伝わっていませんでしたが、政府レベルでかなり高い意識を持っておられて、びっくりしました。日本でいうところの環境省、厚労省、国交省下水道セクション等にあたる省庁を中心に活発に下水サーベイランスを実施・展開されておられ、会議には、各省の局長級の方が参加されていました。バイオテロ対策等、国家安全保障に繋がるということで、国防省の研究者も参加されていました。学界も、国立台湾大学医学部等、医学部関係の方が中心に動いていました。

谷戸 先般、北島先生からお願いしていただいて、厚生労働省の感染症対策部の室長さんにシンガポールで開催されたGLOWACONというEU主催の国際会議に行っていただきました。先日厚生労働省と意見交換させていただいた時、GLOWACONの会議内容とシンガポールの自動採水・分析装置等、大変参考になったと、厚生労働省の幹部もおっしゃっていました。
 分析精度等下水サーベイランスの技術面では、日本は、世界をリードしているのですから、もっと積極的に海外との交流・情報収集、また、国内の社会実装を進めてほしいですね。

北島 本当にそうですね。海外に出て行って、海外の状況情報を集めてくると、日本の方向性等を考えるにあたっても、参考になると思います。下水サーベイランスは、国家安全保障の手段です。台湾で会議に出席されていた国防省の研究者の方が、EPISENS法、COPMAN法という私たちが開発した日本発の分析手法を知っておられ、試してみたとおっしゃっていて、びっくりしました。

谷戸 日本での、早い社会実装が望まれますね。実施体制の構築と併せ、各処理施設で採水サンプルを取っておく「下水バンク」は、どうお考えになりますか。

北島 下水バンクは、後日、過去の感染状況等を追跡するとき、極めて有効です。是非、各処理場で「下水バンク」を実施していただきたいですが、採水したすべての時点の全サンプルを保管する必要は必ずしもないと思います。選択でよいと思います。下水バンクをするには、冷凍庫も必要になってきます。例えば、月に1回はサンプルを保存しておくとかでよいと思います。今後、冷凍庫を必要としない常温でのバンクの開発も重要ですね。

谷戸 下水サーベイランスの課題と展開方向について、貴重なお話をありがとうございました。

上下水道一体化は合理的 究極的には「水省」が望ましい  

谷戸 本年4月に上下水道行政が、国土交通省に一体化されました。一体化から、半年たちました。上水、下水関係の研究を両方お進めになってきた中、上下水道一体化への期待等、いかがですか。

北島 我々、アカデミアの者としては、研究にあたり、上水道と下水道が一体化された方が進めやすいと考えています。例えば、研究費の確保、研究成果の活用、研究フィールドの確保等も一省庁に一体化されたほうが、スムース化すると思います。
 また、国土交通省はインフラの整備・更新・維持管理に関して、多くの知見を持たれている省なので、上水道が国土交通省に移管されて、今まで以上にうまく進む事項も多いのではと感じており、今回の一体化は、理解しています。非常に合理的な動きだと思います、我々としても進めやすくなってくるかなと思っています。
 ただ、もう少し言いますと、ヨーロッパの一部の国のように、さらに、水関連が全部一つの省庁に集まると、我々水の研究者とか水の分野にいるものとしては、究極的に望ましいと考えています。いわゆる水省ですね。

谷戸 だいぶ一緒になってきた中で、あとは農林水産行政関連ですね。農業用水、農業集落排水等です。あと、浄化槽行政、工業用水行政でしょうか。それぐらい、「水」が重要になってきている証左だと思います。
 新しい「水循環基本計画」が、先般、閣議決定されました。治水、利水、水質の三要素からなる「流域総合水管理」がキーワードです。その計画の中で従来の計画と比較して、「上下水道」が水循環において果たす役割が大きくクローズアップされました。

北島 民・学・官すべての上下水道関係者にとって、非常に大きなことですね。今後、上下水道行政の一体化を踏まえ、上下水道のシナジー効果等が発揮され、上下水道の存在価値がさらに向上することを期待します。

国土強靭化はハードとソフトの両面で
下水サーベイランスはソフト面で貢献できる  

谷戸 今年は、1月1日の能登半島地震で始まりました。さらに先日の能登半島の中小河川の氾濫・内水氾濫による浸水被害や土砂災害等多くの災害が発生しています。こうした災害への対応としての「国土強靭化」についてのお考えをお聞かせください。とくに、上下水道関係について、特筆すべきことがあれば、ご教示ください。

北島 国土の強靭化の観点では、一つはインフラとしてのレジリエンスですね。地震に加え、治水も重要です。まずは災害が起きないように構造物を作っていく、上下水道でも耐震化の促進は重要です。それから、水害に強い水道・下水道システムにしていくことが非常に重要だと思います。インフラとしての強靭化ですね。
 もう一つは下水サーベイランスが国土強靭化に貢献できるという観点もある、と思っています。これはソフト対応の国土強靭化の一つですね。下水から感染症の発生・流行状況を的確に把握することによって国土を守るということです。国家安全保障としての国土強靭化です。
 どちらもすごく重要で、前者がまずはハードの整備という意味では必要ですけれども、大きな追加投資がなく、国土強靭化に繋がる情報を下水道から取れるという点では、下水サーベイランスの活用は、国土強靭化に大きく寄与するものと思います。「下水サーベイランスの国土強靭化への貢献」は、下水道の「新たな価値の創出」だと思っています。

谷戸 「下水サーベイランスが感染症に強い国土を作る、国土強靭化に大きく資する」ことを強く、訴えていきたいですね。

上下水道は「社会の役に立てる」ことを発信すべき  

谷戸 最後に上下水道界が、学生さんにとって、魅力ある職場となるには、どうすればよいでしょうか。

北島 まず、今の学生にとって、上下水道がどう見えているかですね。正直なところ、今の理工系の学生にとっての花形は情報系だと思います。ITエンジニアになるとか、IT会社を起業するとかですね。あと根強く人気があるのは理論系の物理と化学ですね。こうした中で、上下水道にどれだけ関心を持ってもらえるかですね。環境とか、水ですね。これらは、我々の生活に、人間社会に必須のものです。「社会の役に立てる」、ここのところが、学生にも、わかりやすいところだと思います。この仕事に携わることによって社会の役に立つ、私はそこのところを父親から教えられ、影響を受けました。上下水道、水、環境の仕事は、胸を張れる仕事だと思います。上下水道業界関係者、そして、我々上下水道関係の学界の者は、こうした魅力がある業界であることを発信していくべきでしょう。
 その意味では、やや手前味噌ですけれども、下水サーベイランスは、「下水道にこんな新たな価値がある。人の命を救うことに資する」ことを広く世界の人々に知らしめた点で、大いに貢献していると思います。下水道は、従来、縁の下の力持ち的なものでした。脚光を浴びることが必ずしも多くない分野でした。それが、メディアに大きく取り上げられ、キラリと光る下水道の価値がクローズアップされました。上下水道分野から今後もこうした新たな効用、革新的技術開発が次々と出てくると、上下水道業界に進みたいと思う若者が増えてくるのではないかと思います。

谷戸 「下水道ってこんなことまでできるのか、すごいね。さらに、その技術は、日本が世界の最先端をいっているのですね」この下水サーベイランスは、本当に下水道への国民の見方を一変したものだと思います。北島先生が果たされた役割は大きいと思います。日本のフェンシングで太田選手がメダルを取って、子供たちが憧れ、関心を持ち、一気にフェンシングブームが到来しました。下水サーベイランスのすごさの国民への周知がきっかけで、上下水道・水・環境分野を目指す子供たち・学生さんが増えるといいですね。

北島 下水道は、工学の分野ですが、農学、水産学、医学等他の分野に色々な貢献ができることも大きなアピール点ですね。例えば、下水汚泥の肥料としての農地還元、のりの養殖のために栄養分を下水処理施設から供給するとかですね。下水サーベイランスの医学への貢献は先述のとおりです。これだけ、多くの他の分野に貢献できる社会インフラは下水道以外にはないのではないでしょうか。下水道は、熱・電気・ガス・水資源等、多くの資源エネルギーポテンシャルを有しています。

谷戸 多くの社会インフラの中で、これだけの資源エネルギーポテンシャルを有しているインフラはないと思います。東洋大学の花木啓祐教授は、「都市にあるインフラのうち、物質循環やエネルギーなど多方面で環境に貢献できる事業は下水道しかない」とおっしゃっています。さらに、「下水サーベイランス」というあらたな価値が加わり、上下水道・水・環境の世界の魅力は大きく拡がったと思います。こうした魅力が、子供たち・学生さんたちに伝わり、上下水道界を目指す若者が増えることを心から期待したいと思います。今日は本当に、長い時間、幅広いお話をありがとうございました。

(編集:原達一郎・阿部悦子・上下水道情報編集部)


プロフィール

北島正章(きたじま・まさあき)氏
東京大学工学部都市工学科卒業、同工学系研究科都市工学専攻修士課程・博士課程修了。2011年日本学術振興会海外特別研究員(米国・アリゾナ大学)、2014年Singapore-MIT Alliance for Research and Technology博士研究員、2016年北海道大学大学院工学研究院環境創生工学部門助教、2021年准教授を経て、2024年東京大学大学院工学系研究科附属水環境工学研究センター特任教授、現在に至る。現在、一般社団法人日本下水サーベイランス協会理事、全国下水サーベイランス推進協議会理事等を務める。趣味は、野球、ランニング、読書、旅行等。

谷戸善彦(やと・よしひこ)氏
東京大学工学部都市工学科卒業、建設省入省。1987年西ドイツカールスルーエ大学客員研究員、その後、京都府下水道課長、日本下水道事業団工務課長、建設省下水道事業調整官、国土交通省東北地方整備局企画部長、同下水道事業課長、同下水道部長、日本下水道事業団理事長、㈱NJS取締役技師長兼開発本部長等を歴任。現在、㈱NJS常任特別顧問、一般社団法人日本下水サーベイランス協会副会長、公益財団法人河川財団評議員、一般社団法人日本非開削技術協会理事等を務める。趣味は、読書、車、鉄道、山、犬、広島カープ等。

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