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連載「水道の話いろいろ」(8)東京の近代水道事始め

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開国に沸く明治になっても、飲み水は江戸時代から続く上水を利用していました。しかし、開国でコレラが流行したり、木樋という木の水道管が老朽化したり、圧力がないので火事を消せないなどの問題が深刻になってきました。こうして、日本各地、とりわけ開港した都市や大都市を中心に欧米のような近代水道を造ろうという機運が高まってきました。

近代水道とは、濾過をして、圧力があって、鉄管で配るという現在の水道です。濾過をすると安全な水になります。水をゆっくりと砂の層に通すと、砂の表面の1~2㎝に、川から運ばれてきた微生物がびっしりと繁殖します。これが、コレラ菌などの細菌やウイルス、臭いまでを食べて、安全な水になります。それまでの、圧力がない木樋に比べて、圧力がある鉄管で配ると外から汚水が入らないので安心です。また、鉄管は丈夫で長持ちします。

近代水道の最初の地は横浜で、その後函館、長崎、大阪と続きました。ここではその次に通水した東京の水道を見ていきます。

東京の近代水道は、明治7年(1874年)、日本で最初に計画されました。多数のお雇い外国人によって多方面から検討され、市議会でも議論百出の末、練りに練った計画が明治23年(1890年)になってようやく決定されました。この計画では、浄水場は玉川上水に接して造り、水を玉川上水からじかに引き入れる計画でした。場所は、甲州街道の南側の渋谷区で、山の手線の外側、現在のJR東日本本社のあたりでした。玉川上水は、この付近は甲州街道の南側沿いに流れていたので、これに接して造るのは至極当然な考えだと思います。ここに造って、蒸気ポンプで配る計画でした。

ところが、この年、ドイツ留学から帰国した弱冠33歳の中島鋭治氏が、翌年この工事の担当になると、浄水場の位置を再検討し、新宿区の淀橋が適地と主張しました。淀橋は玉川上水より標高が高いので、淀橋には水は入りません。そこで、玉川上水を4kmも遡り、現在の井之頭通りと甲州街道が交差する付近で、玉川上水を分流させ、新たに新水路を造って淀橋まで自然流下で導くという計画です。これにより、浄水場の標高は前計画より5mも上がります。標高が上がると蒸気ポンプの石炭を節約できます。中島氏は、淀橋の方が地盤がいいうえ、淀橋に造れば新水路の工事で費用は5万円増えるが、石炭代を年間7千円節約できるので、この方が有利だと説明しました。結局この案が認められ、浄水場の位置は淀橋に変更になり、石炭代やその後の電気代を大いに節約できる省エネの水道が誕生することになりました。中島氏はその後、東京だけでなく、多くの都市の水道を造り、近代水道の父と呼ばれました。

こうして、いよいよ浄水場の工事に取り掛かることになりました。これはその起工式と消火演習の模様です。式に参列するための特別列車を仕立て、近代水道は圧力があって、火事を消せることを大いにアピールしたようです。

これは新たに作った新水路の写真です。現在は、埋め立てられ、通称水道道路として名残をとどめています。

これは淀橋浄水場の蒸気ポンプ所です。蒸気機関車と同じように石炭で水を沸かして蒸気を造り、その蒸気の力でポンプを回して水を送り出します。左の方に排気の煙突が見えます。

これは東京中に張り巡らされた水道鉄管の図面です。鉄管の布設が一通り完了した明治44年(1911年)のもので、総延長は800km、東京広島間に相当する距離の鉄管が敷設されています。
小さく見える無数の点が火事を消す消火栓です。この消火栓ができて東京の火災は激減していきました。

これは、蛇口の語源となった共用せんです。正式には蛇体鉄柱式共用栓という名前で、龍の口から水が出るので、蛇口といわれたようです。個人の家にはまだ専用の蛇口が少なく、共同の蛇口を使っていました。この写真は、明治43年(1910年)の大洪水の際に撮影されたもので、大水の中で貴重な水道水が勢い良く出ている様子が伝わってきます。

この写真は、東京オリンピックが開かれた昭和39年(1964年)ころの淀橋浄水場です。右に新宿駅が見えます。今は都庁などの高層ビル群が立ち並ぶところに、昔は、手前に広い沈澱池、奥に濾過池が広がっていました。東京の水道は、明治31年(1898年)にこの淀橋浄水場から水道水を配りはじめました。

淀橋浄水場は、新宿副都心計画のため、昭和40年(1965年)に廃止されました。それまでの72年間、高い標高から水を配って、エネルギーを節約しつづけました。廃止に合わせて、西側の一角に淀橋給水所が造られました。浄水場の機能はなくなりましたが、水を貯水して送る機能だけは引き継いで、給水の重要な拠点として現在も活躍しています。その上は新宿中央公園になっています。

中島鋭治氏の卓越した見識に深く敬意を表します。

(c)Atsushi Masuko
「上下水道情報」2018号―2024年12月掲載 一部改

ますこあつし
【著者プロフィール】

増子敦(ますこ・あつし)1953年生まれ。博士(工学)。元東京都水道局長、東京水道サービス株式会社代表取締役社長。現在日本オゾン協会会長、日本水道協会監事、YouTubeに「水道の話」を連載。著書に「誰もが知りたい水道の話」。


連載リスト(年月は「上下水道情報」掲載号)

(0)はじめに 2024.5

(1)琵琶湖疏水 2024.5

(2)安積疏水 2024.6

(3)緩速ろ過 2024.7

(4)急速ろ過 2024.8

(5)高度浄水の仕組み 2024.9

(6)高度浄水の開発 2024.10

(7)江戸明治の上水 2024.11