連載「水道の話いろいろ」(29)佐久の五郎兵衛用水
ひとりの志が切り拓いた歴史的用水
- NEW
1.「個人」が私財を投じた大事業
長野県佐久市の浅科(あさしな)地区に農業用水と水道用水を供給する「五郎兵衛(ごろべえ)用水」は、1631年に造られました。浅科の名の由来は、この地区が浅間山と蓼科山(たてしなやま)の間にあることから、二つの山の名から一文字ずつ取って浅科と付けられたといわれています。

前回取り上げた金沢の辰巳(たつみ)用水が加賀藩の総力を挙げた事業であったのに対し、五郎兵衛用水はその名が示す通り、市川五郎兵衛という一人の人物が私財を投じて築いたという点で極めて異例かつ特筆すべきものです。この用水は400年を経た現在も主力の農業用水として活躍し、ブランド米「五郎兵衛米」を生み出しているほか、地域の水道水源としても利用されています。

2. 家康の許しを得て、私財を賭した開発へ
市川五郎兵衛は1593年、23歳のときに徳川家康から直々に「旗本に取り立てよう」と声をかけられました。しかし五郎兵衛は、「志はすでに武士にあらず、産業を興して人々を豊かにしたい」と辞退し、家康はその志を認めて鉱山や新田開発を認める朱印状を授けました。

五郎兵衛はこの朱印状をもとに、千曲川右岸の二つの新田開発を手掛けたのち、いよいよ千曲川左岸の浅科地区の新田開発に取り掛かりました。浅科地区は標高が700m近くあり、水利のない荒涼とした草原でした。その水源はなかなか見つからず、ついに蓼科山の山腹標高1800mに湧水(わきみず)を見つけ、その下流標高760m地点の鹿曲(かくま)川から水を引くことにし、1626年小諸藩の許可を得て工事に着手しました。

3. 難工事の連続と独創的な工夫
上流部の2.3kmに及ぶ岩場は最大の難所で、断崖に棚状の溝を掘って水路を通し、随所にトンネルを掘りました。

尾根を越える長さ330mのトンネルは、18人が交代で一日あたり1~2mずつ、実に220日をかけて掘り抜きました。

布施(ふせ)川を渡る箇所は掛樋(かけひ)といって橋をかけてその上に木の水路を造って川を渡りました。

布施川を渡った地点で標高は既に700mと下がっていたため、この後は極力標高を落とさないで水路を造らないと田んぼまで水が届きません。そのため、同じ標高の地点をたどって地形を迂回しながら、所々はトンネルを掘ってグネグネと曲がりくねったルートとなっています。この付近の水路の傾斜は100m行って15cmしか下がらない、極めて緩やかな傾斜となっていますので、高度な技術が使われたと思います。

下流部には、周囲より標高が低い区間が1.2kmにわたって存在し、このままではその下流に水を通すことができませんでした。そこで最大2.4mの盛土を施し、水路を築きました。

この盛土区間では崩壊や漏水が相次ぎましたが、切り芝に杭を刺して盛土を安定させる「田楽積(でんらくづみ)」という独自の工法を考案して対応。さらに、水路に真綿を流して漏水箇所を特定し、真綿を押し込んで粘土で押さえるといったきめ細かな工夫により、難局を乗り切りました。

4. 400石の収穫と「すべてを村へ」遺した私財
1631年、五郎兵衛60歳のときに全長20kmの用水が完成。新田は短期間で400石(こく)を超える収穫を上げました。このような大規模な土木工事による新田開発は当時としては全国に例がありませんでした。この成功により小諸藩は新田開発に助成金を出すなどの奨励策を打ち出し、佐久は一大米作地域になっていきました。

五郎兵衛は、代々砥石(といし)を切り出す山の経営で財を蓄えていましたが、用水工事にそれらを全てつぎ込み、さらに山を担保に借金までしていて、その返済に苦労したといいます。しかし、完成した用水の所有権を主張せず、すべて村に寄贈しました。その功績を称え、この地は「五郎兵衛新田村」と名付けられました。
5. 明治期に受け継がれた近代水道への系譜
時代は下り、明治期に入ると佐久でもコレラが猛威を振るいました。飲料水としても使われていた五郎兵衛用水に安全な近代水道を導入しようと立ち上がったのが、地元の山本栄吉と2人の子息です。

親子は砂と木炭による濾過システムを取り入れ、地下9mに幅60cm、高さ75cm、延長460mのトンネルを人力で掘削して圧力のある水路網を構築。各戸への給水を実現しました。3年の歳月をかけ1902年に完成したこの水道は、2006年に佐久水道企業団に移管されるまで、100年以上にわたって地域住民の命を支え続けたのです。

今回五郎兵衛用水についてお話して感じるのは、求められていることを成し遂げる人々の強さです。改めて敬意を表します。
(c)Atsushi Masuko
「上下水道情報」2041号―2026年9月掲載 一部改

【著者プロフィール】
増子敦(ますこ・あつし)1953年生まれ。博士(工学)。元東京都水道局長、東京水道サービス株式会社代表取締役社長。現在日本オゾン協会会長、YouTubeに「水道の話」を連載。著書に「誰もが知りたい水道の話」。