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【連載】アメリカにおける水インフラ事情(15) シカゴの街角で出会った古い給水塔

水道から蛇口へ、下水処理そして再利用

池端慶祐(テキサス州立大学理工学部工学科 准教授・京都大学大学院工学研究科 客員教授)

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 今年の8月末、とある学会に参加するため、アメリカ中西部のイリノイ州シカゴ市を訪れる機会がありました。シカゴは、ニューヨーク、ロサンゼルスに次ぐ全米第3位の人口(2020年の国勢調査によると約270万人)を擁する、アメリカを代表する大都市の一つです。19世紀に商業・交易の拠点として急速に発展し、その後、アメリカ有数の工業都市としても成長を遂げてきました。また、シカゴは「風の街(Windy City)」という愛称でも知られていますが、その由来には、五大湖の一つであるミシガン湖から吹く風だけでなく、19世紀に活躍した政治家や実業家たちの威勢のよい発言が関係しているという説もあります。

 今回のシカゴ訪問では、思いがけず友人と再会する機会にも恵まれました。彼女は現在テキサス州に住んでいますが、シカゴで育ち、今でも時折この街を訪れています。私がシカゴに到着したのは学会が始まる前日の土曜日でしたが、偶然にも彼女もシカゴに滞在していたため、早めの夕食を一緒にとることになりました。

 夕食後、彼女から「まだ少し時間がある?」と聞かれたので、「もちろん」と答えると、「あなたは水の専門家だから、ぜひシカゴの給水塔(Chicago Water Tower)を見せたい」とのこと。そこで、シカゴの目抜き通りとして知られるミシガン・アベニューの繁華街、通称「マグニフィセント・マイル(Magnificent Mile)」を北に向かって歩き始めました。

 マグニフィセント・マイルとは、直訳すれば「壮麗な1マイル」。その名のとおり、高層ビルが立ち並び、有名ブランドの店舗やホテル、レストランが軒を連ねる、シカゴを代表する商業地区です。観光客や買い物客でごった返す街並みをしばらく歩くと、右手に「ウォーター・タワー・プレイス(Water Tower Place)」という名前の大きな商業施設が見えてきました。高層ビルの中にショッピングモールが入っているようです。

 そもそも、こんな繁華街の真ん中に、どんな給水塔があるというのでしょうか。頭の中には、アメリカの郊外でよく見かける、巨大なタンクを高い脚で支えた給水塔の姿がぼんやりと浮かんでいましたが、まさかそんなものがここに建っているとも思えません。「もしかして、あのショッピングモールが目的地なのかな?」などと考えていると、その手前に、周囲の近代的なビルとは明らかに趣の異なる、古い石造りの建物が目に入りました。

 さらに通りの反対側に目を向けると、今度はまるでヨーロッパの古い教会か小さなお城のような、やはり石造りの美しい塔が建っていました。これこそが、友人が私に見せたかったシカゴの給水塔だったのです(写真1)。

 この給水塔は、今から150年以上前の1869年に完成したものです。当時のシカゴは、商業や工業の発展とともに人口が急増しており、安全な飲料水の確保が大きな課題となっていました。シカゴの水道水源は、街の東側に広がるミシガン湖です。しかし、当時は都市の生活排水や工場排水がシカゴ川を通じて湖に流れ込み、湖岸付近の水質汚染が深刻化していました。そこでシカゴ市は、湖岸から約2マイル(約3.2km)沖合に新たな取水施設を設け、湖底に掘削したトンネルを通じて、比較的清浄な湖水を市内に送るという大規模な水道整備事業に着手しました。

 取水トンネルは1867年に完成したのですが、この事業の一環として建設されたのが、先ほど私が目にした給水塔と、その向かい側に建つポンプ場です(写真2)。両施設の外壁には、シカゴの南西約65kmに位置するジョリエット市周辺で産出された、淡い黄色の石灰岩(ジョリエット石灰岩)が使用されています。ジョリエット地域は良質な建築用石材の産地として知られ、19世紀には「石の街(City of Stone)」と呼ばれるほど採石業が盛んでした。

 給水塔とポンプ場には、中世ヨーロッパのゴシック建築を19世紀に復興・再解釈した「ゴシック・リバイバル様式」が採用されました。尖ったアーチや装飾的な小塔を備えたその外観は、まさに中世ヨーロッパのお城のようです。設計者のウィリアム・ボイントンは、当時のシカゴを代表する建築家の一人で、同じ石材と建築様式を用いたローズヒル墓地の正門や、ジョリエット刑務所なども手がけています。

 ところで、この給水塔は、現在アメリカ各地で見かける高架水槽とは構造も役割も異なります。塔の内部には高さ約42mの鋳鉄製の立管(スタンドパイプ)が設置されており、ポンプの運転に伴う水圧の変動を緩和する役割を果たしていました。つまり、私が目にした教会のような美しい建物は、巨大な水道管を覆うために建設されたものだったのです。

 ところが、これらの施設が完成してからわずか2年後の1871年10月、シカゴを未曾有の大火災が襲いました。10月8日に発生した「シカゴ大火(Great Chicago Fire)」は、強風にあおられて市街地に燃え広がり、約1万8000棟の建物が焼失、約10万人が住む家を失うという大惨事となりました(写真3)。街の大部分が焼け野原となるなか、石造りの給水塔とポンプ場は奇跡的に焼失を免れました。給水塔は大火を生き延びた唯一の建物だったと紹介されることもありますが、実際にはほかにも被害を免れた建物がありました。それでも、焼け跡に立ち続ける美しい給水塔の姿は、市民に大きな希望を与え、その後のシカゴの復興と不屈の精神を象徴する存在となったのです。

 やがて、ポンプ設備の近代化に伴い、塔内のスタンドパイプは1911年に撤去されました。しかし、歴史的建造物としての価値が認められた給水塔は保存され、現在もシカゴの街を象徴するランドマークとして親しまれています。1994年に作成された建築実測図には、塔の高さや内部の階段、展望階などが詳しく記録されています(図)。

 塔の内部は市営のアートギャラリーとして活用されてきました。一方、向かい側のポンプ場は、今もなお水道施設としての役割を果たしながら(写真4、5)、その一部が地元の劇団「ルッキンググラス・シアター(Lookingglass Theatre Company)」の劇場として利用されています。

 ところで、友人が私をこの給水塔に案内してくれたのには、もう一つ理由がありました。彼女が学生時代を過ごしたロヨラ大学のキャンパスは、給水塔のすぐ向かい側にあるのです(写真6)。当時、通学のたびにこの美しい、しかし周囲の街並みからは少々浮いて見える建物を眺め、いったい何のための建物なのだろうと不思議に思っていたそうです。彼女にとって、この給水塔は学生時代の思い出が詰まった、なじみ深い風景の一部でもあったのでしょう。

 予定になかった今回の訪問は、私にとっても、アメリカの水道の歴史を振り返る貴重な機会となりました。普段は水処理技術や水質の研究に携わっていますが、一つの古い水道施設を通じて、当時の人々が直面していた水質問題や、それを解決するための技術、さらには水道インフラの整備と都市の発展との深い関わりについて、改めて考えさせられました。

 旅先で偶然出会う水道施設には、思いがけない発見があるものです。今回も、ほんの短い寄り道のつもりが、150年以上にわたるシカゴの水道と街の歴史に触れる、実に興味深いひとときとなりました。このような機会を与えてくれた友人に、心から感謝しています。

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(c) Keisuke Ikehata

「上下水道情報」2042号―2026年10月掲載 一部改

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☆ 著者プロフィール ☆

池端慶祐(いけはた・けいすけ)

1974年生まれ。奈良県出身。
博士(土木環境工学)、技術士(アリゾナ州・アルバータ州)。テキサス州立大学理工学部工学科准教授、京都大学大学院工学研究科客員教授。
1997年、大学院留学のため日本を離れ、カナダ・ケベック州モントリオール市へ。その後アルバータ州エドモントン市のアルバータ大学で博士号取得。2009年にカナダからアメリカ・カリフォルニア州ファウンテンバレー市に移住。2019年7月よりテキサス州立大学でアシスタント・プロフェッサーを務め、2025年9月より理工学部工学科准教授。
国際オゾン協会パンアメリカングループ副会長、同協会理事などを務める。
趣味は水泳(幼少期より)、マラソン(大学時代より)、サーフィン(2年前より)。

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