対談シリーズ第4回にあたる第67回は、東京大学片山浩之教授をお訪ねし、お忙しい中、1時間を超えて、対談をさせていただきました。
片山浩之教授は、昨年8月25日に発足した「全国下水サーベイランス推進協議会」の会長を務められており、下水サーベイランスの社会実装に向けての諸活動を展開されています。アマチュア囲碁の世界では知らぬ人がいない有名人であり、そのクールさが印象的ですが、お話をすると、大変雄弁で、新たな発想を次々と出されるアクティブな方です。今後の上下水道・環境工学の大学・研究者の世界(学界)で必ずやリーダーを担われる方だと思います。我が国の将来・世界の将来についても、碁の世界で培われた鋭い考察力で常に先を読み、行動されておられます。東京大学工学部都市工学科の新進気鋭の教授として、今後の益々のご活躍が期待されます。
今回は、水環境工学系へ進まれた経緯、囲碁の効用等をお伺いした後、上下水道行政の一体化への期待、能登半島地震を受けての今後の対応、下水サーベイランスの社会実装に向けて、上下水道界に学生さんに来ていただくには何が必要か等について、幅広く、忌憚のないご意見を聞かせていただきました。【谷戸善彦】
片山 浩之
(東京大学大学院 工学系研究科 都市工学専攻 教授 全国下水サーベイランス推進協議会 会長)
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谷戸 善彦
(㈱NJS エグゼクティブ・アドバイザー(常任特別顧問) (一社)日本下水サーベイランス協会 副会長 (公財)河川財団評議員)
水環境工学への進路のきっかけ
谷戸 片山さんが水環境工学系へ進路を選ばれたきっかけ・経緯を教えていただけますか。
片山 中学生・高校生の時から、将来、社会に役立つ仕事をしたい、また、研究者になりたいと考えていました。東京大学に入って将来の進路を選ぶ時(東京大学は2年時で学科を選択)、上の二点より、工学部都市工学科を選択しました。社会に役立つという観点から、理学部より工学部だと考えました。高校の授業で生物に関心を持ったことも学科選択のポイントになりました。
谷戸 水環境工学系の中で、水系ウイルス研究を特にご専門に選ばれたきっかけは何だったのでしょうか。
片山 卒業論文を決める時、教授の方々に研究テーマを聞いて回りました。研究者を目指していたので、博士課程の進学も考えて、学部の卒論のテーマも決めました。その中にPCRを使って、環境水中のウイルスを計測するテーマがあり、迷わず、そのテーマを選び、研究に取り組みました。
環境工学分野で日本で初めてPCRを活用、水系中のウイルスを高い精度で測定
谷戸 PCRは、新型コロナ以降、今でこそ、みんなが知っている分析方法ですが、環境工学の分野で、当時、PCRを活用し研究されている研究者はおられたのでしょうか。
片山 PCRは、1983年に初めて考案され、1985年頃原形が作られ、1989年に実用化されました。微量の病原体等を精密に分析・解析できる素晴らしい技術です。私が卒論の研究を始めた1991年頃は、日本では、微生物を扱う農学部関係、医学部関係の研究者は、分析手段としてPCRを使い始めていましたが、川や海といった環境水中の病原体をPCRを使って分析・測定した実績はありませんでした。私たちのグループが事実上、第一号だったと思います。
谷戸 片山さんの東京湾の水中ウイルス濃度実態測定に係る2002年の米国ジャーナル紙の論文は、環境工学分野の論文被引用件数で世界に誇るものとなっています。
片山 確かに、世界に注目されました。ただ、当時、酒の席等では、「『東京湾に病原性ウイルスが多く存在する』と言うだけでは、危険危険と言っているだけで、オオカミ少年ではないか。工学者のやることか」と、厳しい意見も浴びせられました。
谷戸 昨年3月の国土交通省の下水サーベイランスの委員会で、「下水疫学や水系ウイルス学の注目度について、自分が研究を始めた当時と比べ、注目度について隔世の感がある」としみじみとおっしゃっておられたことが、印象に残っています。
片山 新型コロナウイルスを契機に、下水サーベイランスが世界で注目されました。また、新型コロナウイルスの蔓延状況を早期に把握し、市民に伝えることで、市民は、外出を控える、マスクをつける等、自主的に感染拡大につなげる行動をとることができます。こうして、対処策につながるようになったことも、隔世の感がありますね。
プロ棋士への誘い、囲碁の効用「マン・ウォッチング」
谷戸 片山さんと言えば、朝日アマチュア囲碁名人戦等全国レベルの囲碁大会の東京都代表に何度もなられており、小学校5年の時は、プロ棋士になるよう強く勧められたと聞いています。囲碁を始められたきっかけは。
片山 囲碁のきっかけは小学校の時、囲碁の大好きな父親に教えられたことです。父親から怒鳴りまくられながら教えられている私を見て、いたたまれなくなった母親が本格的な囲碁教室へ通わせてくれました。小学校4年生の時、兵庫県で優勝、小学校5年生で全国大会3位になり、プロ棋士の道を勧められました。
谷戸 囲碁の道に進まれなかったのは。
片山 小学校6年の時、兵庫県大会で敗れ、プロは目指さないこととしました。その後、アマチュアとして、高等学校の時には、全国大会で優勝しました。
谷戸 囲碁をアマチュアとして、究められておられる中、囲碁の効用といいますか、囲碁で究められたことを現在のお仕事等に活かされていること等ございますか。
片山 今になって振り返ってみますと、日ごろの関係者とのコミュニケーション、世界の研究者とのやり取り、学生の指導等の局面で、囲碁の経験から得たものを活かしてきたのかなあと思うことはあります。具体的には、一つは、「マン・ウォッチング」ですね。相手の考え方・本音を読み取ろうとする習慣ですね。二つ目は、「落としどころを探す」ことです。確率の低い大勝を狙わず勝率の高い極差勝利を狙うことです。囲碁は確率が低い大勝を狙うのではなく、少しリードして勝利で終わることができる確率の高い道を選ぶことが基本です。負けた相手の心理も含め、この習慣は、今までの大学・学会等での折衝・コミュニケーションにおいて大いに役立ってきたと思います。あと、集中力、記憶力は、確かに培われました。
谷戸 こうして対談している中、相手の考え方を読み切るという話を聞いて、ぞっとしてきました。現在もアマ棋士として、毎年のように、東京都代表を務めておられますが、そのエネルギーの源は。今後とも、チャレンジを続けられますか。
片山 エネルギー源は、負けた時の悔しさですね。次は必ずリベンジするぞと。首をとられずに(殺されずに)何度でも悔しい経験できる、それを次に生かせる。これは、素晴らしいことだと思います。
谷戸 片山さんの「負けず嫌い」と「集中力」は、半端ではありませんね。
上下水道行政の一体化は中間点、更なる統合へ
谷戸 本年4月、現在厚生労働省が担っている水道行政が国土交通省に移管され、上下水道行政の一体化が実施されます。この一体化、片山さんは、どこに注目されていますか。一体化への期待はいかがですか。
片山 長期的な水行政の一体化といった将来を考えるのであれば、第一歩として、評価できると思います。大いに歓迎です。ただ、将来的には、今回環境省に移管される上水道事業に係る水質管理行政の一体化、また、農水省関係・浄化槽関係等の水行政の更なる一元化も進められるべきと考えています。今回が最終形と考えず、将来のあるべき最適の姿を今後とも追求・実現してほしいと思います。
自治体の上水道自立化の阻害にならないよう
谷戸 片山さんは、新水道ビジョン、水道法の改正を高く評価されています。
片山 2013(平成25)年に策定された新水道ビジョン、2019(令和元)年10月に施行された改正水道法は、高く評価しています。その根本精神である「自治体が自立してサステイナブルに水道施設をマネジメントしていく」という考え方です。この精神が自治体の中で浸透し、実践していこうという時に今回の水道行政の国土交通省への移管が決定しました。自治体のせっかくの上水道事業自立への意欲をそがないよう、うまく、国からの支援、また、下水道事業との連携をしつつ、上下水道政策を推進していってほしいですね。
能登半島地震と能登の復興
―能登半島を我が国の国防上の重要地域に位置づけ(片山プラン)
谷戸 年明けとともに、震度7の能登半島地震が発生しました。現在、国、県、市町村挙げて、官民協力のもと、復旧・復興に向け、支援が本格化してきています。
片山 能登半島地震でお亡くなりになった方々に対し、ご冥福をお祈りいたしますとともに、被害にあわれた皆様方に対し、深く、お見舞い申し上げます。上下水道も大きな被害を受けました。特に、今回は、地盤変動により、道路下に埋設している上下水道管路が大きな被害を受けました。液状化の影響も大きいです。国土強靭化の観点から、上下水道の耐地震対応のあり方は今後の大きな課題です。地震が起こった後の現時点では、復旧に向けての対応は、現在取られているとおりの方向性かと思いますが、地震発生前に、「今回の地域のような今後人口減少の続く過疎の地域において大震災が発生した場合の街の復興方針」は、議論して、方向性を出しておくべきだったかもしれませんね。
谷戸 能登において、今後、多大な国費を使って、復旧・復興を進めていく。このことについて、いかがですか。
片山 先程述べたことと、若干、矛盾しますが、今回、能登において、国費を徹底的に投入して、復旧・復興に全力を尽くすにあたっての大義名分として、私は、北朝鮮・中国・ロシアを睨んだ「能登半島の国防上の重要性」を前面に出したらと考えています。
谷戸 それは、貴重な素晴らしい考えですね。
片山 能登半島は、日本海に突き出た特殊な地形の場所で、6000万年前の縄文時代から人々が住んでいました。能登町の真脇遺跡等、縄文時代の遺跡が複数、見つかっています。対北朝鮮・対中国・対ロシアで日本海方面の国防がこれだけ脅かされている現在、今回の地震を契機に、能登半島を我が国の国防上重要な地域と位置づけ、多くの日本人が住みながら我が国を守る地域としたらよいのではと考えます。輪島塗の継承のために、希望する人たちには、輪島塗の技術継承を開放すれば、全国から多くの希望者が来ると思います。国防のためには、一般人がその地に住んでいることが重要です。国防・伝統工芸維持継承を前面に、こうした考え方に立てば、能登半島復旧・復興に堂々と国費を投入できると思います。一石三鳥です。
谷戸 能登半島地震の発災直後から北能登の市長さん方は、避難のため北能登から出て行った人たちがもう戻ってこないのではないかと心配されていました。この「片山プラン」が実行できれば、能登は、震災前以上に発展する可能性があります。上下水道インフラをはじめすべての社会インフラも、国防上の重要地域ですから、耐震性の高い最高レベルの施設・設備を有する「最新スマートシティ」として、復旧・復興する必要があるでしょう。
上下水道インフラの新たな価値創造
谷戸 上下水道ストックが全国で164兆円に達し、全国に上下水道インフラ網が張り巡らされた中、この膨大な上下水道ストックから、「国民からリスペクトされるような『新たな価値創造』を行おう」という考え方が出てきています。すでに、「新たな価値創造」として、下水中の新型コロナウイルスのRNAを分析することにより、新型コロナウイルスの地域内の流行動向を把握する「下水サーベイランスの社会実装」が始まっています。
片山 膨大なストックを多面的に活用するという視点は、大変重要と考えます。その中で、下水サーベイランスは大変「VALUE」のあるものだと思います。
下水サーベイランスの社会実装に向けて
―「非常時の下水サーベイランス」から「平時の下水サーベイランス」へ。まずは、全国モニタリング体制構築と「下水バンキング」の早急なスタートを
谷戸 下水道インフラの「新たな価値創造」として、下水サーベイランスの社会実装は注目です。下水サーベイランスの社会実装に向けて、今後の方向性等、本分野の国際的専門家の片山さんのお考えをご教示ください。
片山 下水サーベイランスは、「VALUE」のある素晴らしい施策だと心から思っています。我が国の全国的な下水サーベイランス体制の構築が海外と比べて遅れているのは、残念です。新型コロナウイルスへの関心が確実に薄くなってきている中、今後は、「非常時の下水サーベイランス」から「平時の下水サーベイランス」への対応シフトが大事だと思います。今までは、新型コロナウイルスの感染状況の推移を下水サーベイランスで捉える、感染状況の変化を一刻も早く下水サーベイランスで把握するということに注力してきました。今後は、新たな感染症の発生への対応として、平時から、全国的に下水サーベイランスモニタリング体制を構築しておいて(例えば全国200下水処理施設をモニタリング施設として指定しておく)、それらの下水処理施設では、徐々にできるところから下水サーベイランスの実施拡大を図っていくといったことが大事でしょう。また、当面は、感染症が拡大してからでも振り返って分析しフォローできるように、毎週数回、流入水等を冷凍保存しておくことを早急に実現してはいかがでしょうか。いわゆる「下水バンキング」です。
谷戸 自治体は、予算面で、下水サーベイランスに二の足を踏んでいます。
片山 国からの予算の補助があると普及拡大には、大きく資すると思います。全国下水サーベイランス推進協議会会長としても、提案活動等、積極的に国の皆さんに提案し、議論していきたいと思います。
上下水道界が学生さんにとって魅力ある職場になるためには
谷戸 最近、上下水道工学・環境工学を専攻の学生さんが、なかなか上下水道界に就職してくれません。受け入れ側の企業・役所として、何が不足しているのでしょうか。
片山 最近の学生は、就職にあたり、①自分がやりたいことをやりたい、というタイプと、②クオリティofライフが充実した生活をできるようにしたい、というタイプがいます。ただ、両タイプ共通として、やはり、「報酬」は気にします。報酬は、決して無視できません。現実的な話になってしまいましたが、公務員等についても、このことは考える必要があるでしょう。
谷戸 「報酬」のことは、よくわかりました。その他、上下水道界を魅力ある職場にするためには、どのようなことに留意すべきでしょうか。
片山 「その企業が自分を成長させてくれるか」という点も、学生は求めているように思います。人事政策、人材育成政策が大変大事になってきていると思います。
谷戸 本日は、長時間にわたり、幅広く、興味深いお話をお聞かせいただき、誠にありがとうございました。
片山 浩之(かたやま・ひろゆき)氏
1970年兵庫県芦屋市生まれ。1998年東京大学大学院工学研究科博士課程修了、同工学系研究科都市工学専攻助手、2002年同講師、2007年同准教授、2016年~2018年日越大学准教授併任を経て、2019年東京大学工学系研究科教授。IWA(世界水協会)「水中の健康関連微生物に関する専門家委員会」元委員長。趣味は囲碁、高校日本一になり、高校生の囲碁日本代表主将を務める。小学5年生の時に、プロ棋士の誘いを受けた。囲碁アマ6段。読書のジャンルも幅広く、言語学者スティーブン・ピンガー、進化生物学者スティーブン・ジェイ・グールド、司馬遼太郎等の本を愛読している。
谷戸 善彦(やと・よしひこ)氏
東京大学工学部都市工学科卒業、建設省入省。1987年西ドイツカールスルーエ大学客員研究員、その後、京都府下水道課長、日本下水道事業団工務課長、建設省下水道事業調整官、国土交通省東北地方整備局企画部長、同下水道事業課長、同下水道部長、日本下水道事業団理事長、㈱NJS取締役技師長兼開発本部長等を歴任。現在、㈱NJS常任特別顧問、一般社団法人日本下水サーベイランス協会副会長、公益財団法人河川財団評議員等を務める。趣味は、読書、車、鉄道、山、犬、広島カープ等。