第3種郵便物認可 もう少し解説します。まず、相手が自分を裏切るリスクがない全く安心な場面では、そもそも学問的には信頼についての議論は成り立たないし、意味がありません。例えば、自分の家族がつくった食事に毒が入っているかどうか。この場合、全くそのようなリスクはないので、「信頼」についての議論の外になります。逆に、中古車のセールスマンが「この車はしばらく故障の可能性がない」と言った時に、そのセールスマンを信頼できるか否かという命題はまさに「信頼」の議論の対象になります。 それから、もう1つ重要なポイントは、相手は自分を裏切らないだろうと判断できる論拠が、相手にとっての利害得失に基づく場合でも、必ずしも「相手を信頼している」とは定義されないことです。例えば、戦国時代に「加藤藩からは人質をとっているから裏切らないだろう」と判断するのは、加藤藩を信頼しているからではありません。読んだ書籍にあった例では、マフィアの部下はボスに従っていて互いに信頼関係があるように見えますが、これは少しでもボスに逆らったら厳しく処罰されるというメカニズムが成り立っているだけで、信頼関係は成立しているとは言えません。要は、利害得失、損得勘定で成立している関係は「信頼関係」とは解釈しないわけです。 下水道事業でも、例えば大規模な官民連携事業で複数の企業がJV(共同企業体)を組みますが、これも必ずしも企業同士の信頼関係だけで成り立っているわけではありません。ビジネスライクな関係と信頼関係は別ものなのです。 また、しばしば日本人は和を大切にするなどと言われます。同期会や県人会など、自分の所属に基づいていろんな集まりが開かれますし、基本的にそのような身内的な仲間には根拠なく贔屓にする傾向があります。しかし、こうした集まりも信頼に基づいているとは言えません。アンケートによって米国人と日本人の学生を比較したある研究によれば、米国人に比べ日本人は一緒に行動している仲間を必ずしも「信頼できる人物」としては見ていないという結果もあります。逆に米国人は他人を信頼する傾向が高く、積極的に関係性を築こうとするとのことです。よく知った仲間、身内ひいき的な関係は、必ずしも信頼の上に成り立っているわけではないということです。お互いに不利なことはしないだろう程度の安心感、または、例えば同じ派閥にいる者をひいきにすることが自分の得にもなるから、という利己的な発想と言っても良いと思います。これは、わかりやすい例ではないでしょうか。信頼を構成する3要素、中でも「価値共有・共感」がカギ それでは、どうしたら「信頼」されるのかについてお話しします。社会心理学における最近の研究成果では、信頼感を得るには「能力」、「人柄」、「価値共有・共感」の3つの要素が必要とされています。特に最近の社会心理学の研究で、3番目の「価値共有・共感」が加わったとともに、これが最も重要なファクターとされています。 滋賀県の私のエピソードも、自分で言うのもなんですが、3要素のうち、ロジカルに説明する「能力」と生まれながらの温厚篤実な「人柄」は私にもそれなりにあったと思います(笑)。ところが3つ目の「価値共有・共感」という要素は欠けていたと言わざるをえませんし、そもそも共感を得られるような活動を全くしていませんでした。「価値共有・共感」をもう少し噛み砕いて言うと、市民と同じ立場に立って、同じ方向を向いて一緒に考えるということになるでしょうか。 さて、この3要素は私が考える「信頼できる医師」の要素と似ています。もしも私が大病になった時は、能力やスキルがあり、人柄も親切で誠実、そして何よりも私の苦しみや不安について同じ立場に立って共に考えてくれる医師を信頼すると思います。 また、「価値共有・共感」の別の具体例として、ある書籍では「DJポリス」が紹介されています。サッカーの日本代表戦に熱狂して大騒ぎする渋谷の若者たちに対し、マイクを握って「私も大のサッカーファンです 第1940号 令和3年4月6日(火)発行(41)信頼感を構成する3つの要素
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