コンセプト下水道 第1回~20回
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第3種郵便物認可 び出せないなど、必要なものは手に入らず、出したいものは受け入れ先が見つからない、という状況になるのが広域的な被害の特徴です。 もう1つの特徴は、津波による浸水で大規模な電気設備が機能停止に陥ったことです。特にポンプ設備の停止は、汚水が逆流して街中に溢れる危険に直結します。宮城県の仙塩浄化センターはこの最大の危機に直面し、仮設ポンプをかき集めてなんとか対応しましたが、正直、日ごろ技術自慢をされている高価でハイテクな電気設備が水に浸かったくらいで完全停止、復旧には数ヵ月から半年は必要と聞いて、こんなに弱いものなのかと呆然とするとともに、怒りすら覚えた記憶があります。支援要請は思い切りが大事 復旧支援でまずやるべきことは、自分自身、つまり支援者自らの食事や宿泊施設を探す「衣食住の確保」です。しかし、被災地でこれらを調達するのは至難です。私が災害対応に従事したのは、5月の連休までのおよそ2ヵ月間で、途中、東京(本省)に交代で一週間くらい戻っている期間もありましたが、現地にいる時は山形市内のホテルに宿泊し、車で約1時間かけて仙台市の支援本部に通っていました。食事も基本的には山形で調達し、被災地に持っていきました。朝早く出発し、ホテルに戻るのは夜の23~24時頃が普通でしたので、なかなか過酷な毎日でしたが、その分、行動を常に共にしていた日本下水道協会の職員との絆は深まりました。 復旧支援においては、人やモノ(資材)をどう集めるか、その戦術がカギになります。特に人の調整が大変です。被害状況などの情報が少ない早い段階で、必要な人数を判断しなければならないからです。これには、新潟中越地震の経験が生きました。管路の延長や面積などの最低限の情報をもとに、最終的には「ヤマ勘」で決めました。「どんぶり勘定」と言い換えてもいいでしょうか。その際、気持ち多めに言っておくことがポイントです。支援を受ける側は、できる限り自分たちで何とかしようと思うのか、支援要請を遠慮しがちです。中越地震で同じようなことがあり、当初、「新潟県は自分たちでできる能力がある。支援は要らない」と突っぱねていた方がいましたが、結局は人が足らず、一日で最大数百人の支援を受けたということがありました。これを教訓に、支援要請の判断は必要人数を多めに見 第1938号 令和3年3月9日(火)発行(45)風評の中、仙台市、大阪市、新潟市と初協議内では暴動が発生しているなど、根拠もないデマが数多く出回り「市内に入るときは十分注意するように」と情報が回った場所もありましたが行ってみれば全くのデマばかりでした。ただ、それらが円滑な支援を妨げた面があったのは事実です。 現地では遺体収容中の自衛隊員と何度も一緒になりましたし、いくつかの下水処理場では津波で流された自動車が沈砂池に浮かんでいる光景を目にしました。あとになって「よくあの状況で落ち着いていられましたね」と言われましたが、全くそんなことはなく、常に胸騒ぎがしていましたし、不思議な高揚感もあり、とても冷静ではいられませんでした。 そして、現地対応も数日たつと、下水道施設の被害の全貌も徐々に分かってきます。被害の特徴は大きく2つありました。1つは、広域的な被害により処理場が孤立したことです。「孤立」が意味するところは、サプライチェーンが途切れたということ。必要な高圧の電気は発電所からの送電システムが被災していて来ない、水処理に必要な薬剤等も製造工場が被災して調達できない、汚泥は契約している産廃処分場の被災で運津波が襲った仙台市の南蒲生浄化センター

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