(34)第1925号 令和2年8月25日(火)発行 た記事はあまり書きたくないというのが本音です。 例えば少し前に騒ぎになった“水道の民営化”ですが、大騒ぎしている人たちが将来のまちづくりのことまで考えているのか、個人的には疑問を感じました。むしろ、いま自分が安い水を飲めればいいという極めて近視眼的な考えが根底にあるような印象を持ちました。 一方、教育の仕事に携わると、常に10代の子どもたちが目の前にいます。この子たちにとっていいまちをつくるためには、その問題をどう捉えるべきか。こうした視点に自ずとなってしまいます。加藤 なるほど。目先ではなく、10年後、20年後の子どもたちの将来を時間軸で考えた上で、その問題と向き合うということですね。私も子どもたちのことを考えることはありますが、橋本さんの場合は実際に普段から子どもたちと接しているので、より実感の伴った強い気持ちが生まれるのだと思います。橋本 将来世代を意思決定の場に置くことも大事だと思います。施設の老朽化に伴い使用料の改定を検討する際も、大人たちだけで話し合うと反対意見ばかりになってしまいますが、子どもたちにとってはいま値上げしてくれた方がいいわけです。時間を解の中に入れると、見えてくるものが全然違ってきます。流域単位でまちづくりや暮らしを考える加藤 以前お会いした時、流域単位で物事を考える重要性について語られていたのが印象に残っています。改めて話してくださいますか。橋本 コロナ後の社会を考えた時、今まで進展してきたグローバルサプライチェーンが、ゼロにはならないにしても、幾分かは地域にシフトしていくことが予想されます。また同時に気候変動にも襲われており、今橋本 教育の仕事を始めてからジャーナリストとしての視野が広がった気はしています。表層的な問題を大騒ぎしても意味がないという意識はいつも持っていますね。これが問題だと煽るような記事の方が確かにウケはいいのですが、そうし年も大雨で熊本県の球磨川が氾濫したように流域単位で被害が発生しています。 こうしたことを踏まえると、これからは流域が、モノの循環や人の知恵を集結すべき1つの単位になってくるのではないかと考えています。安全なまちづくりという観点から治水や利水などを流域単位で考えることは非常に合理的ですし、その最先端にあるのが流域下水道だと思います。 水だけでなく、流域全体の政策を考える場合は、これ(水)に森林、食べ物、エネルギーといった要素が加わります。例えば上流部では水力発電でエネルギーをつくり、下流部では下水汚泥を使って食物を栽培する。1つの流域の中でこれらの要素を組み合わせて、それぞれの自給率を上げていくことができれば、企業活動や人々の暮らしを含めた流域という生活圏が持続可能なフィールドとして浮上してきます。“流域生活”と言ってもいいかもしれません。加藤 おっしゃるとおり、水を動かすエネルギーなどの効率性の観点からも、リスク管理の観点からも、流域は非常に合理的です。日本は都道府県や市町村で分かれていますが、これは多分に政治的に決まっている部分が大きいと思います。政策も、国、都道府県、市町村という単位しか想定していません。しかし、コロナ騒動で都道府県間の移動があれこれ言われているように、現状の括りではエゴや軋み生じてきています。ポストコロナにおいて新たな価値を生み出すためには、都道府県や市町村の括りから一旦離れて、より広域的な流域単位で考えてみることも大切かもしれません。橋本 そうした中で、下水道がなぜ流域下水道なのかを発信することは凄く意味があると思います。加藤 そうですね。過去にいろんな議論がありましたが、下水道関係者はいま一度、流域下水道の生み出している価値を流域管理という視点から考えてみるべきですね。 ところで流域について強い思いを持ち始めたのはいつ頃からですか。何かきっかけでもあったのですか。橋本 流域を意識したのは小学校に上がる前ですね。加藤 そんなに前からですか。流域という言葉をよく知っていましたね。橋本 その頃、父親が亡くなり、母親が前橋に働きに出ることになったので、私は祖母の家に預けられまし 第3種郵便物認可加藤氏
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