× 第3種郵便物認可 展をサポートできる「援助かビジネスか?」でしたが、異なる大学・学部の学生同士の活発な意見交換が行われ、とても刺激的でした。来年度もぜひお願いしたいと思っています。見山 こちらこそお願いします。恒例にしたいですね。加藤 はい是非。では最初に見山先生からこれまでのご経歴や活動について話していただけますか。見山 大学卒業後は住友銀行(現三井住友銀行)に入行し、15年半ほど銀行員として働きました。最初の配属先は神奈川県の金沢文庫支店で、法人営業を担当しました。工業用団地にある法人の新規開拓が中心でしたね。4年程経った後、東京の人形町支店に移り、1年半は不良債権処理、その後の1年半は再び法人の新規開拓営業を手がけました。振り返ると銀行員時代から、あの手この手でゼロから関係をつくることに頑張ってきた印象です。 その後、東京営業部(合併後は本店営業部に名称変更)に移り、主に上場企業などの大口顧客を担当するRM(リレーションシップ・マネジメント)というポジションを辞めるまで務めました。私は王子製紙グループを長く担当したのですが、これが水や環境の問題に興味を持ったきっかけになりました。王子製紙グループの担当になったのが1997年で、ちょうど京都議定書が採択された年です。京都議定書を受けて、当時はまだなかったCO2の排出量取引について銀行内で研究が始まりました。私が担当していた王子製紙グループは国内で一番森林を所有している会社ということもあり、意識して環境問題にアンテナを張るようになりました。加藤 就職で銀行を希望した理由はあるのですか。文系の学生の中では王道というか、人気のある職種だとは思いますが。見山 私の父は公務員だったのですが、幼少期に父との会話で印象に残っているのが、「日本で一番偉い人は?」という私の質問に対し、「誰が偉いとかない。みんな偉いんだ」と言われたことで、父親の仕事はそういう仕事なんだと子ども心に思ったのを覚えています。その会話がずっと頭に残っており、民間企業の論理だけで働くというよりは、公益性がある程度担保できるような仕事に就きたいと思ったのが銀行を選んだ理由でしょうか。銀行を辞めた後の仕事や活動もこの考え方が根底にあるかもしれません。加藤 話を聞く限り銀行の仕事に十分やりがいを持っ第1950号 令和3年8月24日(火)発行(39)イラスト: 諸富里子(環境コンセプトデザイナー)コンセプト下水道【第23回】(特別対談「熱い人と語ろう!」Vol.10)ソーシャルビジネスとSDGs~環境と経済の両立から、社会課題の解決へ~ 「コンセプト下水道」の特別編として、ゲストを迎え、下水道やコンセプトについて語り合う「熱い人と語ろう!」シリーズ。第10回のゲストは専修大学経営学部特任教授の見山謙一郎先生に登場いただきました。見山先生は銀行勤務を経て、音楽家の小林武史さんやMr.Childrenの桜井和寿さんらが設立した「ap bank」に理事として参画。その後、起業独立し、大学で教鞭をとりながらバングラデシュ等で社会課題解決のためのビジネスに携わるなど、ユニークな経歴をお持ちです。また、これまでの経験を活かし、環境省の中央環境審議会(循環型社会部会)や川崎市上下水道事業経営審議委員会など環境分野を中心に各種委員も務められています。銀行員を経てapbankへ参画加藤 見山先生との出会いは佐賀市上下水道局の前田純二さんからのご紹介がきっかけでした。前田さんと見山先生との関係は後ほど見山先生から語っていただくとして、前田さんから「加藤さんと絶対に気が合うはずだ」と紹介されたのが見山さんで、お会いして数分で意気投合したというのが始まりです。改めて、「ビストロ下水道」は熱い人をネットワーク化する不思議なチカラがあると感じています。開拓精神が旺盛な方ですし、詳しくはこれからご本人に話していただきますが、堅い巨大な組織から飛び出してしまった(笑)、波瀾万丈の人生を送られています。先日は私のゼミと、先生の経営学部のゼミとの合同ゼミのような試みもさせていただきました。テーマは、途上国の持続的な発見山 謙一郎専修大学 経営学部 特任教授㈱フィールド・デザイン・ネットワークス代表取締役加藤 裕之東京大学 工学系研究科 都市工学専攻下水道システムイノベーション研究室 特任准教授
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