第3種郵便物認可 て最も気にかけなければならないところはどこですか。吉澤 社内・社外も含めていろんな組織が一緒に働いているので、人の管理には気を遣います。組織と組織の間に「エアポケット」が発生しないように、バトンをスムーズにつなぐのは意識しますね。福島第一事故ではなぜ最悪のシナリオを回避できたのか加藤 そろそろ本日の話題の核心となる原発事故の話をお聞きしたいのですが、当時、吉澤先生は5号機、6号機のユニット所長を務められていました。吉澤 はい。所長の吉田昌郎の下に私を含め2人のユニット所長がいました。加藤 吉田所長は残念ながら病気でお亡くなりになられましたが、その責任感と行動力は映画にもなっています。当時の現場では最も少ない時で50人が残って事故対応にあたったと言われていますが、先生もその1人ということですね。吉澤 そうです。事故後に現場から一旦離れることができたのは、約1ヵ月後でした。東京駅でバスを降りたとき、周囲の店が普通に営業していることに驚いたのを覚えています。こちらは風呂も入っていないし、髭も伸び放題で、ギャップの酷さにショックを受けました。正直、東京にいる人たちに福島の状況は理解できるわけがないと思いましたし、同時に理解してもらうにはかなり工夫しないといけないんだなと反省しましたね。加藤 私も被災地で復旧にあたったので共感できます。たまに東京に戻ったときの街中の人々の普通の活気や笑い声に別世界に来たような違和感がありました。 私は2ヵ月間くらいでしたが、先生は結果的に現場にはどのくらいの期間いらしたのですか。吉澤 私は約10ヵ月ですね。少し安心できたのは外部から安定した電力が供給されるようになってからですが、それまでは過酷でした。食事や水は備蓄されていたもので食いつなぎ、供給されるまでに時間がかかりました。皆さんは保存食というとカップ麺を思い浮かばれる方が多いと思いますが、水がないのでお湯も沸かせません。そのためしばらくは乾パンばかりでした。最もきつかったのはトイレの水を使えなかったことです。屋外に出ることもできないので、事故対応を行った施設の中に専用のスペースを設け、そこで溜めているような状況でした。加藤 厳しい状況の中で、最もきつかったのはトイレなのですね。 先生は、事故の経験を踏まえ、Safety-Ⅱという新たな概念の重要性に気づかれたと話されていましたが、詳しく教えていただけますか。吉澤 事故を評価する際には2つの見方があります。1つは「なぜ事故が起こったのか」、もう1つは「なぜ最悪のシナリオを回避できたのか」。どちらも大事なのですが、事故調査はこの中で「なぜ事故が起きたのか」に着目して分析が行われます。現場にいた人間からすると、福島第一原発事故の検証では後者の視点も取り入れないと、社会のレジリエンス(回復力)は高まらないという感覚を持っていました。これは公表されていますが、福島第一原発の事故は最悪のシナリオで東日本全体に大きなダメージが広がるケースも想定されました。現場ではこの最悪シナリオを回避するためにさまざまな努力が行われましたが、そこが事故調査では評価対象にならないのも変な気がしました。 現場から離れた後もこうした違和感を持ち続けていたのですが、あるとき、東北大学の北村正晴先生の著書を読む機会があり、このレジリエンスを高める観点からSafety-Ⅱという安全概念が足りていなかったということに気づきました。 Safety-Ⅱの肝となる考え方を一言で表すと「対処できる能力を高めること」です。もちろん再発防止や想定外の事態を減らすために事故の原因分析をしっかり行うことは必要です。一方で、なぜダメージから回復できたのか、想定外の事態にもなぜ対処できたのかという調査も重要なのですが、この視点が抜けていました。加藤先生も震災時に被災地の下水処理機能を回復されていますが、「上手くいかなかったことを少なくす 第1998号 令和5年7月25日(火)発行(35)吉澤先生
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