コンセプト下水道 第21~38回
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(40)第1995号 令和5年6月13日(火)発行 をもっと広めていくうえでは何が重要でしょうか。佐野 1つが分析会社の存在です。先ほど話した内閣官房のプロジェクトでも、下水の分析は仙台市内の分析会社3社に声をかけて実施しました。いずれも普段は人由来のサンプルや食品サンプルのPCR分析などを行う会社で、下水の分析は経験がありませんでした。大学だけで分析を行うのは限界がありますので、それぞれの地域でこうした分析会社を確保しておくことが求められると思います。特に中小自治体の支援まで広げていくうえでは大事な視点だと考えています。 それから、分析した下水情報を保健部局などにどれだけ使ってもらえるか。現状はこれが未知である点も課題の1つかと思います。例えば下水情報の活用方法の1つとして保健所の人員体制の検討材料に使うことが考えられますが、保健所からは、厚生労働省がガイドラインをつくるなどして明文化してくれないとなかなか使えないという声も聞かれます。保健部局での需要がある程度約束される状況になれば、下水道業界を含め、もっと多くの人に興味を持ってもらえると思うのですが。加藤 先ほども述べましたが、肥料利用やエネルギー利用など、下水道事業の最後の出口は、異なる分野や業界であることがほとんどです。すべて自分たちだけでやろうとすると出口が見つかりません。公的な施設として、下水道が有する資源は社会還元する必要があります。そのためには、どこが出口になるのか、出口は誰なのか、どういう工夫をしたらうまく出口から出られるのかを常に意識しておく必要があります。一貫してウイルスが研究テーマ加藤 佐野先生は静岡県出身ですよね。佐野 はい。生まれは静岡市です。加藤 どうして今の道に進まれたのかをお聞きしたいと思います。昔から環境や水に関心があったのでしょうか。佐野 いえ、実はもともと建築家になりたかったんです。高校時代の仲の良い友人が建築設計事務所の息子で、私もよくそこに出入りしていたこともあり、自ずと建築志望になりました。そして東北大学工学部に入ったのですが、2年生の途中にその後の専攻を選ぶ段階で、建築でなく、土木を選びました。加藤 それは意外ですね。どうして方向転換したのですか。佐野 土木を選んだのは消極的な理由です。製図の講義を受けてこれを仕事にするイメージが沸かなかったというか、建築は自分には合わないと感じたからですね。加藤 そうでしたか。実は私も父親の専門が建築だったので、小学生くらいの頃は建築に憧れたこともありましたが、建築より橋梁などの公共インフラに寡黙だけど力強いイメージを感じて「土木工学科」に入りました。 土木の中でもいろんな分野がありますが、なぜ大村先生の研究室を選んだのですか。佐野 水理学や構造力学も学びましたが、対象が幅広い環境系の学問に惹かれました。特に大村先生の研究室は新しい分野に取り組んでおり、自由度が高い印象がありましたね。 研究室の同期は私を含め4人いたのですが、大村先生が提示したテーマの中で私は「下水汚泥中のウイルスの定量方法の開発」を選びました。最初に扱ったのはポリオウイルスのワクチン株です。当時、東北大学の土木工学の実験室に初めてP2レベルの実験施設(安全キャビネットの設置などの条件を満たした施設)が整備されるということで、一から始まるんだというワクワク感がありましたし、実験施設の整備にあたって東京都立衛生研究所(現東京都健康安全研究センター)に勉強に行けることも魅力でした。 博士課程修了後は、北海道大学やスペインのバルセロナ大学に籍を置き、平成29年より東北大学に戻ってきましたが、ウイルスについては一貫して研究テーマとして持っています。これはやはり大村先生との出会いが大きかったと思います。そもそもウイルスの研究は大村先生が助手時代から温めてきたテーマで、東北大学医学部の教授で東北大学の総長も務められた石田名香雄先生のお部屋に実験方法について伺いに訪問されたこともあったと聞いています。当時から、直感的に水分野でも問題になると思ったそうです。その時の直感が私を含め、弟子たちの研究につながっており、このあたりの大村先生の先見性は真似したくても真似できないところですね。同じことを自分の学生たちにもやらなければならないのですが、なかなか難しいと 第3種郵便物認可

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