(36)第1966号 令和4年4月19日(火)発行 「ベンチャー支援」という仕事ができる小さい事務所での活動を希望しました。4年程勤めたのですが、「ベンチャー企業を中から助けたい」という思いもあり、スポーツウェアのメーカーにCFO(最高財務責任者)として移りました。 当初は公認会計士のスキルやトーマツ時代の経験を活かせればという思いでしたが、「そんなことより目先の仕事を取ってこい」という雰囲気でしたね。社員数も少なかったため、営業から商品開発、広報、採用や教育にいたるまで、業務範囲が拡張していき、途中からはCOO(最高執行責任者)とCFOを兼任していました。 そんな感じで4~5年が過ぎたのですが、次第に自分の仕事や世の中の利益至上主義に虚しさを感じるようになりました。例えばプロジェクトがうまくいってお金を稼いでも、取引先の会社や社員全員がハッピーかというとそんなことはない。まあ一言でいえば、仕事を頑張りすぎて疲れてしまったんだと思います。おそらく仕事のストレスも関係しているのでしょうが、そうしたタイミングで首に腫瘍が見つかり、手術をすることになりました。生きるか死ぬか、死なないでも顔面麻痺が残る可能性が高い大きな手術で、この手術を経験したことで人生観が変わりましたね。 人の生に限りがあることを身をもって実感し、だったら本当にやりたいことをやってみようという気になりました。冒頭にも話したとおり、もともとアートが好きだったこともあり、今まではどうせ無理だと諦めていた洋服づくりにチャレンジしたいと考えました。加藤 右脳と左脳の往復については本連載の前回にお話したのですが、左脳的な仕事である公認会計士から、感性が問われる右脳的な洋服のデザイナーへ。こういう転身を図った人はなかなか他にいません。中村 そうかもしれませんね。ただ、デザイナーになろうと決心してから1年間くらいは動けませんでした。ベンチャー支援などを通じて、アパレルの事業経営の厳しさをよく知っていたからです。失敗したときのことが頭をよぎり、なかなか初めの一歩が踏み出せない苦しい時期がありました。でも、一度切りの人生を楽しもうと、思い切って一歩を踏み出しました。それからは「やりたいことがあったらすぐやる」のスタンスを貫いています。 現在は、セルフメンテナンス協会の活動、アパレルブランドの経営、プレミアムテキーラ・バーの経営、台湾事業、の4つを同じくらいの比率で取り組んでいます。加藤 台湾事業の代表は、台湾で著名な日本人なんですよね。テレビに出演されたり。中村 はい。「ジーリーメディアグループ」という会社を経営しており、台湾最大の日本情報サイトを運営し、最近は日本製品の販売なども行っています。日本国内での取引先は、全国の市町村や県等の自治体や観光庁、ホテル、レストラン、百貨店、アミューズメント施設などで、地域振興や地域の活性化への貢献もめざしています。 地域と言えば、セルフメンテンナンス協会では、「ウェル・ビーイング」や「自然と触れ合う」などをテーマに地域を元気にする活動ができないかと考えており、加藤先生のビストロ下水道などとのコラボも企画しているところです。「楽しく生きる」と決める加藤 毎回、来てくださったゲストにお聞きしているのですが、仕事や生き方に対するご自身のコンセプトはありますか。モットーや大切にしていることでも構いません。これまでの話の中でも「人生を楽しむ」や「やりたいことがあったらすぐやる」などの前向きな言葉がありましたが。中村 そうですね。モットーは「人生は一度きり」です。まわりに左右されず、楽しく生きたいという思いは強いです。あとは「自分のご機嫌を保つ」も意識しています。フランスの哲学者・アランの「悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意志によるものである」という言葉にはハッとさせられました。まずは「楽しく生きる」と決めることが大事だと思っています。 第3種郵便物認可中村さん
元のページ ../index.html#29