コンセプト下水道 第21~38回
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(38)第1953号 令和3年10月5日(火)発行  量子力学では、ものの最小単位である量子には粒子性と、見えない波動性という二面性があることを明らかにしました。これを論拠に、目に見えない世界やアートの重要性をわかりやすく説明してくれる人も増えてきました。また、ある哲学者によるアリストテレスの実践哲学の解説では、「人間的な事象や行為に関して(定量的な)厳密さは不可能だし意味がない。それを知らずに自然科学や数学のような理論学と混同して無理やり厳密さを求める人は教養がない」としています。下肥と人のつながり加藤 先生は、現在でも下水汚泥の肥料利用を始めている地域があることを知り、どのように感じましたか。湯澤 私の場合、農業史を研究していた関係で先に江戸時代のことを知ったのですが、江戸時代の農書(篤農家と呼ばれる百姓や農業の研究家などが書いた書物)を読むと、肥料技術のことがたくさん書かれおり、その中でも下肥、つまり人糞尿は万物の化育を助けるために不可欠などと、極めて重要な物として扱われています。一方、『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』の執筆にあたって初めて下水道のことを調べたのですが、現在もビストロ下水道をはじめ下水汚泥の肥料化に取り組んでいる地域があることを知りました。江戸時代とはやり方や技術が違うものの、資源を循環させて農業に利用するという仕組みは同じです。すでに新たな時代の循環経済のあり方が具体的に示されているんだと驚きがありましたし、こういうふうにして次の時代につなぐことができるのかと感心しました。加藤 下水汚泥の有機分の利用は、エネルギー利用と農業利用の大きく2つあります。最近はカーボンフリーの流れからエネルギー利用に注目が集まっており、実際に消化ガス発電などの取り組みは広がりを見せています。どちらかというと農業利用のほうは、少しずつ様々な地域で個別に広がっていく、または地域経営に興味を持つ企業が個別に始めようとしているという感じです。農水省は低炭素政策として「みどりの食料システム戦略」の中で、化学肥料から堆肥や汚泥活用への大きな転換を打ち出しましたが。 エネルギー利用は、消化槽やガス発電機など施設増設や機能アップ型の改築を伴います。低炭素の視点で下水道の再構築の財源を確保していく国の政策は正しいです。財政とテクノロジーの発想です。ただ、エネルギー利用は現場視察に行くと感じるのですが、とても機械的で人と人のつながりによる地域の活性化という側面が希薄です。この点、ビストロ下水道は、市民から集めた下水から肥料をつくる人、肥料を農業に利用する人、できた農作物を商品や料理として売る人、食べる人がバトンを渡すようにつながる必要があります。これが難しさであり、また、楽しさです。地域の下水道以外の分野にも波及するような、人と人の「つながり」をつくれるところに魅力を感じています。エネルギーと農業利用「食べる」を組み合わせた社会システムを導入している地域も出てきています。湯澤 教育の面でも「食べる」ということは食育等を通じてクローズアップされてきましたが、「食べる」が「排泄」につながって、それがまた「食べる」に戻ってくるという循環の視点は欠けているように感じます。ところが、イタリアの環境教育の話を聞くと、「食」ではなく、「環境」という大きなテーマで捉えているので、「食」も「排泄」も「リサイクル」も全部丸ごと入っているとのことでした。下水道や汚泥の農地還元は、そうした教育の観点でも重要なプラットフォームや学びの場になるのではないかと思っています。地域に下りて話を聞く加藤 先生はSDGsについてはいかがお考えですか。いろんな方がいろんなことを言うので、やや混乱しているのですが。湯澤 トイレや水の話ですと「目標6:安全な水とトイレを世界中に」というズバリ当てはまる目標がありますが、野外排泄をなくすとか、ここまで統一的なグローバルスタンダードをつくっていいのだろうかという気もしています。食もそうですが、排泄も、もっと多様でいいはずです。例えば「アフリカのトイレは汚いからきれいにしなければならない」というのはステレオタイプなイメージが先行しているきらいがあります。 今はSDGsを掲げ疑いなく盲目的に目標に向かおうとしていますが、少し立ち止まって、世界全体にあてはめて大丈夫か、いろんな人の話を聞くとどうなるか、などと考えてみてもいいのではないでしょうか。SDGsは入り口としてはいいのですが、最終目標としては個 第3種郵便物認可

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