第3種郵便物認可 ていたのではないかと思っているのですが、ある時からプツッと忘れられてしまいました。加藤 「命のもと」として再生する思想はなくなり、確かに今は社会で汚いとされるものを拒否する時代と思いますが、先生はそういう世界を嫌がるどころか、むしろ積極的に肯定しているように感じます。何か原体験のようなものがあったりするのですか。湯澤 私も高度成長以後の生まれなので、もともとは汚いものは怖いと感じる子どもでした。手を洗わないと死んでしまうのではないかという強迫神経症にとらわれて苦しんだ時期もありましたが、自分を変えようと思い大学生の時に吹っ切れて、共同便所で風呂なしアパートに住んだり、沖縄県の無人島でサバイバル生活を送ったりしました。フィールドワークで農村に訪れるようにもなり、生きている匂いを感じる中で、次第にそういう世界に近づいていったという感覚です。その究極が排泄物かもしれません。 今は新型コロナウイルスの影響もあって特に清潔さが求められている状況です。ただ、汚いものは遠ざけて密閉するだけでなく、いろんなコントロールの仕方や向き合い方がある。私もこれを知ることで解放された面があります。加藤 いわゆる自己イノベーションですね。私は東日本大震災対応という業務、つまり自然災害という外力で考え方が変わりましたが、先生は勇気をもって自分から起こされた。湯澤 そうですね。ウンコに変えてもらったと感謝もしています。 大げさに聞こえるかもしれませんが、私はウンコをどう見るかは文明論に関わってくると思っています。ビストロ下水道が凄いなと思うのは、とにかく下水道につないで処理して消毒するのではなく、ウンコが一体何者だったかをもう一度考えてみないか、自然の中に置いて共生できないか、と投げかけて議論しようとしているところです。これは文明論としても大きな転換だと思います。ただ、口で言うのは簡単ですが、実際は難しい。そこを技術的なことも含めて実装しているのがビストロ下水道で、私も刺激を受けています。加藤 工学とは別世界の人文地理学の専門家にそう言っていただけるのはとても嬉しいです。ところで、先生が研究を進める中で、こだわっているコンセプトのようなものはありますか。研究姿勢をお聞きしたいです。湯澤 大学生の時に歴史の先生から言われた「玄関ではなく、勝手口から入れ」という研究姿勢は意識しています。最近は勝手口でも満足できず、便所からになっていますが(笑)。同じような意味ですが、「下(しも)から目線」も心がけています。これは歴史や地理をどこから見るかというアングルの問題です。特に地理は地域を上から俯瞰して見て分析するのが得意な分野なのですが、私は実際にそこに降りてどんな人が住み、どんなことを考え、どんなことに困っているのかを知ることのほうに興味があります。人にフォーカスし、生きている息吹や人間臭さのようなものから、その地域の歴史や現状を記述していくことが重要と考え、研究を続けています。ただ地理学の研究者としては変わっているとよく言われますが。加藤 確かに学術研究は個別の「人」の個性に「下から目線」でフォーカスするというよりも普遍性や客観性が幅を利かせている感じがします。特に工学系はどうしても数値化が求められる傾向にありますが、数値化すればするほど、数値化できないものを見落としてしまう危険性があります。ハザードマップを作成する時も、シミュレーションで数値化しますが、この高さに昔は津波が来ただとか、石碑が立っていただとか、歴史や口承のほうが正確だったりします。平成26年に広島で土砂災害が起きた土地も「蛇落地悪谷(じゃらくじあしだに)」という地名で、字面だけで危険な場所だと分かります。テクノロジー中心の人間は客観的なデータでないと信頼しないというところがありますし、DXが推進されるなら、個別事案についてはこれまで以上に先生が思い描く人文地理学と組み合わせて考える必要があります。世の中は「定量」と「定性」の両方で成り立っていますから。私は、本当は定性が上で、定性により定量がコントロールされていると考えています。湯澤 そう公言してくれる人は珍しいです。加藤さんが初めてかもしれません。バランスを取れとは言われますが、「定量」が上というか、味付けに「定性」という感じですから。加藤 そうですか。私は「目に見えない世界」が大好きなんです。こういう話ならいくらでも話せますよ(笑)。 第1953号 令和3年10月5日(火)発行(37)
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