(36)第1953号 令和3年10月5日(火)発行 産業の研究をやっている時から、「ライフ(生きる、暮らし、日常、人生など)」をテーマにしていたので、研究対象が「食」に広がったのも自然の流れだったのかなと思います。 ある時、愛知県で織物工場に関する新史料が出てきたので、研究者が集まって一緒に見ようという経済学のプロジェクトがあり、私も参加しました。経済学の先生は主にお金の動きに関する記録に注目していましたが、史料には食べ物に関する記録や肥料の売り買いについての記録がありました。私は人が生きることにフォーカスしたかったので、それらに注目しました。100年前の愛知県では工場で働く人が食べて排泄したものを近くの農家の人が下肥として買い、それを使って大根などの野菜をつくって、それをまた工場の人が食べるという小さいながらも確かな循環があったことが史料からはっきと見えてきました。それからですね、食と排泄の研究にどっぷり浸かるようになったのは。こういうことを誰も書いていないのはなぜなんだろうと思いつつ、じゃあ書いてみようと思って書いたのが『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか』です。これからは多様な分野からのアプローチが必要(加藤作成) 肥料に人糞尿が使われていたのは有名な話ですが、実は地域によっては、地形や産業に応じて貝殻や海藻、刈草など様々な有機肥料の組み合わせがあったはずなんです。今のビストロ下水道にも通じる話かもしれませんが。そういう意味で、地理学が担える役割もあるかなと思っています。玄関ではなく、勝手口から加藤 先生の本を読むと、日本最古の歴史書である古事記にも糞尿譚が出てくるそうですね。湯澤 日本は湿潤な気候で、簡単には生物が死に絶えることのない自然環境の中、ものが腐ったり死んだりしたところから命が芽生えるという感覚が昔からあったのではないかと思っています。死んでしまったら砂になって終わりではなく、そこからまた次のものが生まれてくるというような。古事記に残っているのは、その表れかなと思っています。ふざけて書かれているのではなく、「命のもと」として積極的に描かれている印象が強いです。江戸時代までそういった感覚は残っ 第3種郵便物認可湯澤先生湯澤先生著『ウンコはどこから来て、どこへ行くのか――人糞地理学ことはじめ』
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