下水道の散歩道㈱NJS 取締役 技師長 開発本部長(公社)全国上下水道コンサルタント協会 企画委員長谷戸 善彦1.「ちょうど50年前の1969(昭和44)年から下水道インフラの発展が始まった」[第16回]第3種郵便物認可 第1885号 平成31年1月29日(火)発行(39)コンストラクションレインノベーションonstruction」&「Meinnovation」&「M「C「R-2019年新元号とともに「下水道インフラ新ステージ」へ-メンテナンスマネジメントaintenance」の時代からanagement」の時代へイラスト:PIXTA新都市計画法では、10年以内に市街地となるべき区域を「市街化区域」と定め、市街化区域については、都市として最小限必要な基礎的施設として、「道路」、「公園」、「下水道」の計画を定めることを規定しました。新都市計画法は、都市に下水道整備を義務付けたのです。これは画期的な出来事で、下水道が都市に不可欠な基礎的施設であると法律に明記されました。 第二は、昭和44年12月26日、環境庁の発足以前に水質保全行政を担っていた経済企画庁長官が、建設大臣に対し、「公共用水域における水質汚濁防止のための下水道整備の促進について」の意見具申を行ったことです。その全文は以下です。 「政府においては、最近における公共用水域の水質汚濁が、大企業を中心とする工場、事業場からの排水のみならず、無処理のまま排出される大量の家庭下水ならびに固有の排水処理能力に乏しい中小企業の工場、事業場からの排水によることが大きいことにかんがみ、公共用水域の水質の保全になお一層の万全を期するため、指定水域の指定、水質基準の設定等の拡充 2019年、平成最後の年が、スタートしました。5月には、新元号となり、次の時代が始まります。「下水道インフラ」の世界におきましても、大きなステージ交代のタイミングにあると考えています。 下水道インフラが今日のように大きく発展した「変曲点・ターニングポイント」は、ちょうど今から50年前にあります。1969(昭和44)年6月14日施行の都市計画法改正、1969年12月26日の経済企画庁長官から建設大臣への意見具申、同じく1969年4月の都市計画中央審議会内の「下水道部会」の設置の三つの出来事です。 50年前まで、下水道インフラは、「公共事業」として、また、「水質保全に資する重要な環境保全インフラ」として、全く認知されていませんでした。これを大きく変える契機となったのが、上記の三つの出来事でした。 第一は、都市計画法が大正8年以来全面的に改訂され、昭和44年6月14日に施行されたことです。強化の措置とあわせて、一般公共下水道、流域下水道等下水道の整備拡充を積極的に推進すること。」 このように、昭和44年に、都市計画行政及び水質保全行政の両面から、下水道事業促進への強い要請がなされました。その中で、第三に挙げた、国の都市計画中央審議会の中に、昭和44年4月、「下水道部会」が設置され、本格的に下水道法の抜本改正と第3次下水道整備五箇年計画策定が動き出したことは、大きな出来事でした。「下水道部会」は、日本中が公害問題で白熱し、下水道インフラを巡る環境が激しく動く中で、下水道法のあり方と中長期整備計画の形を集中的に議論し、まとめあげました。佐藤栄作総理(当時)の強いリーダーシップのもと、政府が本格的に公害問題に取り組んでいたこともあり、審議は、前建設事務次官(同)の中田政美部会長のもと、猛烈なピッチで進められました。部会の下に、「下水道財源小委員会」が設置され、財源論がまとめあげられました。この際、別途、検討の進んでいた「下水道財政研究委員会(下水道財研)」の第二次提言が生かされました。この「都市計画中央審議会下水道部会」の取りまとめを受けて、翌昭和45年に下水道法の大改正が行われ、これが、その後の下水道インフラの劇的な発展に繋がりました。昭和45年の下水道法改正のポイントは、以下です。① 下水道法の目的に「公共用水域の水質の保全に資すること」を
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