防災拠点化を考える―下水道の散歩道㈱NJS 取締役 技師長 開発本部長(公社)全国上下水道コンサルタント協会 企画委員長谷戸 善彦[第12回]阪神・淡路大震災で住民が避難した此花下水処理場(公共投資ジャーナル社・下水処理場ガイド2013より)(42)第1877号 平成30年9月25日(火)発行 第3種郵便物認可イラスト:PIXTA稼働し、処理場設備の運転が継続されるとともに、管理棟の灯りが点きました。真っ暗な街の中で、唯一の灯りだったのでしょう。周辺住民が次々と灯りを求めて、処理場にやってきたのです。私は、出勤できるだろうかと考えながら、大阪市内の自宅にまだいました。その自宅に、なんとか繋がった電話で、処理場の守衛さんから『住民の方々が灯りを見て、処理場に押しかけてきています。場内に入ってもらってよろしいでしょうか』と連絡がありました。私は、即座に了解し、きちんとした対応をするよう指示しました。処理場の玄関に集まってこられた数十人の周辺住民の方々には、処理場の管理棟に入っていただき、備蓄してあった毛布や水を提供しました。部屋とロビーがいっぱいになったようです。私自身、11時ころに自宅から処理場になんとかたどり着いた時にも、まだ、二、三十人の住民の方がおられました。当時の大阪市の指針では、住民は、巨大災害時には近くの小学校に避難するという考え方になっていました。真っ暗な中、住民の方々は、小学校にいったん向かおうとされたのかもしれません。しかし、先のほう1.巨大災害による停電と 自家発電による「灯り」 9月6日午前3時7分、震度7の北海道胆振東部地震が発生しました。被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。大規模な土砂崩れ、内陸部での液状化等、甚大な被害がありましたが、何より、国民に大きなインパクトを与えたのは、「ブラックアウト」による長時間の大規模停電でしょう。最近は、巨大災害時においてさえ、停電は、せいぜい一、二時間から数時間しか起こらないと思っていた我々にとって、「こんなことが起こるのか」とショックを受けた出来事でした。合わせて、電気が、数時間以上、まして一日二日と停止すると国民生活・経済活動がパニックに陥ることが明らかになりました。 北海道の大地震による長時間・大規模停電を聞いた時、瞬間的に、思い出した出来事がありました。平成7年1月17日に発生した阪神・淡路大震災時の話として大阪市役所OBの山口登さん(元大阪市都市環境局理事・現東京設計事務所顧問)から10年以上前に聞いた話です。 「私は、阪神・淡路大震災の発災当時、大阪市下水道局の此この花はな下水処理場の場長をしていました。5時46分に地震が発生し、市内は全域停電になりました。1月なのであたりはまだ真っ暗でした。その中で、此花処理場は、処理場に設置された非常用自家発電設備が即「ブラックアウト」と下水道インフラ―下水処理施設の広域避難拠点化・ に、一箇所だけ、灯りの点いている施設がある。建物もしっかりしていそうだ。あれは、此花処理場だ。ということで来られたのではないでしょうか。大震災直後のパニックの中、『灯り』というものが、『安心感と希望』を与えたのだと思います。周辺には、淀川があり、明るくなって、状況がわかると堤防の損傷も見て取れました。残っていた住民の方は、堤防決壊等を考えても、管理棟は安全だと思って、とどまられていたようでした。一週間後、地区の自治会長が突然、場長室を訪ねて来られました。日ごろから、周辺環境問題等で、しょっちゅう叱られていたので、また、お叱りに来られたと思いましたら、1月17日朝の御礼に来られたのでした。『場長、ありがとう』その言葉は今でも忘れられません」2.下水処理施設の 現在、我が国の下水処理施設は、全国に2170箇所あります。そのうち、非常用自家発電設備を持っている処理場は、1727箇所(79.6%)です。中規模以上の下水処理施設には、ほぼ全部に非常用自家発電設備があります(現在の下水道施設計画・設計指針では、「ポンプ場及び処理場には、原則として自家発電設備を設ける」とされています)。今回の北海道胆振東部地震によって処理場施設に何らかの被害広域避難拠点化
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