や敷屋第3種郵便物認可 出来るのは設置者に限られていた。男女とも、物陰での立ち小便が当たり前で尿(タンパク質、尿素リッチ)は掘を通じ東京湾に流れ、海藻の栄養分となり、いわゆる江戸前の魚介類の豊富さを支えていた。③ 中等「町肥」は、一般の長屋など庶民の使う共同便所から汲み取られた。その長屋でも大名屋敷に近い長屋の糞尿は好まれたが、いわゆる下町産の糞尿は「たれこみ」と呼ばれ糞の量が少なく、尿が多く含まれ肥料として価値が低かった。長屋の汲み取り権を持っていたのが大家さんで、糞尿を処理した代金は、そのまま大家さんの収入となっていた。④ 下等な糞尿には「お屋敷もの」と呼ばれる牢獄や留置所から汲み取られたものもあった。生かさず殺さずの食事であり栄養価は期待できず、牢獄の衛生状態を保つのが主目的であった。1)糞尿の取引価格は 大名屋敷の糞尿は、ブランド物であり、価格交渉は長年の付き合いのある農民(藩の秘密を守る)と交渉(賄賂も含め)で決まっていた。基本的には「きんばん」で育てた野菜や農作物、果物と物々交換であったが、農家は、これはどこそこの大名屋敷の糞尿で育てたブランド野菜と称し付加価値をつけて町で販売していた。 では、その糞尿は、どれくらいの価値があったのか? 江戸中期には、中等「町肥」で樽一杯あたり25文、町肥・船1艘当たり1両が相場であり、現在の貨幣価値に直すと、樽一杯が500円、船1艘分が10万円位と推定されている。江戸時代は人⼝が急増し、下肥糞尿の需要は年々拡大、糞尿の処理に困ることはなかった。むしろ糞尿の取り合いが激しくなり、その価格も40年間で3倍になった記録もある。農家にとって下肥糞尿の価格高騰は大問題で、天明9(1789)年、武蔵・下総両国の農民(1016村から)が、勘定奉行に下肥の値下げを嘆願し、暫くは安定したが、再び高騰した。2)江戸藩邸の糞尿処理 通常大名には、江戸城周辺から江戸郊外にかけて、複数の屋敷用地が与えられ、江戸城からの距離、中屋敷、下屋敷」により「上分けられ、その総称として江戸藩邸と呼ばれていた。藩邸は大名の位により規模が異なっていた。では藩邸に何人居住していたのか。貞享元(1684)年、土佐藩で江戸藩邸に3195人、上屋敷に1683人居住の記録が残っている。3千人の金肥を得るために農民は鎬を削っていたのである。 面白い話が残されている。 江戸屋敷には、多くのトイレがあり、「母屋の中のトイレ」は武士や腰元が使い、使用人(下男、女中)のトイレは離れに設置されていた。当時のトイレは開放式で、開き扉で、上部は外から見える構造である。臭気がこもらない工夫でもあろう。下男・女中にとり「離れのトイレ」は、最高の密会の場(くさい仲)であった。汲み取り中に、その現場を見た農民は、驚きとともに、大いに喜んだ。なぜなら裏門から入る時、ひと声をかけると、現場を見られた下男が飛び出し、門を開けてくれる。また屋敷内を汲み取りで移動する時に道案内(汲み取りは人目についてはいけない)をしてくれるのだ。さらに現場を見られた女中はお屋敷の台所で出た野菜くずや魚の残渣の存在と量をしっかり教えてくれる。正に「持ちつ持たれつ」さらに「3人はくさい仲」になるのだった。3)金肥の作り方 持ち帰った下肥用糞尿は、地中の肥溜めに溜めて十分に発酵させる。発酵中は臭気が強いが、保温、しきかみ第1956号 令和3年11月16日(火)発行(33)熟成するに従い臭気がなくなり、さらに高温発酵させると寄生虫や病原菌が死滅する、これが本当の金肥なのである。3.SDGs項目と江戸の糞尿処理との相関関係 SDGsの項目中、①貧困、②飢餓をなくそう、③すべての人に健康と福祉、⑥安全な水とトイレを、⑧働きがいと経済成長、⑨産業と技術革新、⑪住み続けられるまちづくり、⑫作る責任、使う責任、⑬気候変動への対応、⑭海の豊かさを守ろう、⑮陸の豊かさを守ろう、などの項目はすぐに相関が類推できるが、では項目④質の高い教育をみんなに、⑤ジェンダー平等、⑰パートナーシップ構築などとはどのような関係であろうか。その答えは寺子屋の普及である。 日本が世界に誇れる一つに識字率の高さがある、これは江戸時代からの寺子屋制度である。江戸は士農工商と身分が確立されていた時代であり、武士と庶民の教育は区別されていたが、商業が盛んになり、また読み書き算盤・能力向上、書類作成の必要性が著しく生じた。大都市周辺では、庄屋や農漁村の支配者が多くの寺子屋(幕末・全国で1万5千ヵ所)や郷学(庶民向け教育専門校)を開き、ここでは男女共学が当たり前であった。 では男女比はどうであったか。全国平均は女性が25%であったが、江戸では男100に対し女性は89。商業の盛んな神田、浅草、日本橋などでは男女同率であった。つまり江戸では糞尿処理により優れた農作物を作り、農家がリッチになると若い女性を寺子屋や郷学に学ばせ、読み書き算盤、習字が出来るようになった。このように女性の能力・地位向上がめざましく、その結果、良き伴侶にも恵まれ、江戸経済を支えたのであった。
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