帝国を崩壊させた■セゴビアの水道橋 原水流入側・沈砂池と固形物除去(筆者撮影)▲点検小屋▲ 点検時に角落としにて流れを遮り、ゴミや砂を搬出第3種郵便物認可 のままで良い」と、また上水道の整備を提案した時には「ローマには、今でも水が充分にある、地下水もあるので不要だ」と元老院が反対した。 しかしアッピウスは、下水道まで気を配った。都市から排出された汚れた下水が谷に溜まり、そこで疫病やマラリア蚊が異常発生し、住民を襲い、ある日突然、都市が崩壊する様を懸念していた。事実マラリア蚊で村落が滅亡した例もあった。 アッピウスは、まずクロアカと呼ばれる下水道を整備した、汚水を完全に流し疫病の発生(ペストや赤痢)やマラリア蚊を防ぐ。その上で水道橋から豊富な水道水を供給、水道水は公共水栓、公衆浴場、公衆トイレなどに使われ、清潔な環境を保ち住民の「安全・安心」を支えた。また豊富な水量は下水管中に汚水を滞留させない、つまり流し出す役目もあった。当時のローマ人、一人当たりの給水量は1m3/日であったらしい。 アッピウスが提唱した「道路整備と上下水道インフラの整備」は脈々と受け継がれ、ローマ軍が征服した都市には、すべてこの方式が採用された。2008年に訪れたセゴビアも征服された都市である。スペインには14基のローマ時代の水道橋が現存している。 BC312年にアッピウスが提唱した「道路整備と上下水道インフラ整備」の徹底と完璧な維持管理体制が、東ローマ帝国が滅亡するまで約1500年間にわたりローマ帝国の繁栄を支えたのであった。3.維持管理の手抜きがローマ アッピウスは水道長官を選任し、強い権限を持たせ水路の維持管理に当たらせた。具体的には水路(地下、地上、アーチ部)の定期整備・清掃の記録や資金管理が主であり、官位も高かった。また水道長官は水質管理官を任命し、水質の保持、分岐水量(配水量)の調整を行わせた。特に水源は硬度成分が多いので、定期的に水路のスケールを除去する必要があった。また公共水(全体の約7割)は無料であったが、一部の豪族には有料で配水していたので、盗水(作業員にカネを渡し、接続させる)にも目を光らせていた。このようにローマ水道は数世紀にわたりローマ人技術者集団により維持管理されていたが、ローマ帝国の拡大とともに軍人や水道技術者集団が地中海各地の大ローマ帝国に分散した。さらに時は流れ、ローマでは「水が来て当たり前、下水は流れて当たり前」のことに慣れ、メンテナンス予算の大幅削減が行われ、技術 第1935号 令和3年1月26日(火)発行(31)者も去り維持管理が手抜きになった。 大陸遠征で守りが手薄となったローマ帝国には蛮族がしばしば侵入するようになった。しかも水道橋が彼らの侵入口であった。たびたびの蛮族の侵入を恐れたベルサリウスは、水道橋の入口や坑道をレンガとセメントで完全に閉鎖した。これでローマの水道は完全に死んだと言われている。4.日本の上下水道インフラの運命は 日本の上下水道インフラは今、未曾有の危機的状況を迎えている。公共事業費抑制や料金収入の減少で老朽化施設の更新が充分に行えず、水道の漏水事故は2万件/年を超え、また下水道管の破断により年間3千件以上の道路陥没、さらに団塊時代の技術者の大量退職、国民の水インフラ整備に関する無関心などである。 塩野七生著「ローマ人の物語」にはこのように書かれている。「ローマ街道はメンテナンスもされずに放置の状態が続いた結果、敷石はすり減り、土砂がたまり、雑草が生えたあげくに静かに死んでいったが、ローマ水道の死に方は急激だった。公共インフラは、それを維持するという強固な意志と力を持つ国家が機能していない限り、いかに良いものを作っても滅びるしかない」と。 「水が来て当たり前、下水は流れて当たり前」「人々の水に対する関心なし」「予算削減」「技術者の不足」と、読者諸氏は、いま日本はローマ帝国の崩壊と同じ運命を辿っていることに気が付くであろう。
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